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果たして、園を送り届けたあとに庄八から袖がパンパンになるまで菓子を持たされた千里は重ねて礼を言うと夕餉の誘いをなんとか断って一路帰宅の徒についた。
『いいか、なんども言うが千里は猫又でも、まして猫神でも無いのだ。…そうだ。うむ、菓子は好きだ。……うむ、だから冨田屋の菓子は間違いなく千里の好物だがだからと言ってそれが猫又の好物というわけにはならなんだろう?だから来るたびにこんなに菓子を貰っては申し訳ないと………そうか、もうわかった。ありがとうございます。』
観念した、と言うべきか。
冨田屋の猫神信仰は留まるところをしならかったようだ。
まぁ良い、菓子は好物だ。
庄八宅にはまた山で取れた山菜やら魚やらを持っていくとしよう。
千里は重い袖を揺らしつつ跳躍のために膝を曲げた。
正面に高く聳え立つ壁は花街島原のものだ。
そのの家から頓所までの間に佇むこの地域は、香と享楽と欲の臭いがする。
鼻の良い千里はあまり好まない場所だったが、急ぐためには致し方ない。
ひっそりと、こっそりと、彼らの頭上を通過すれば夕餉の支度の手伝いに間に合うのだ。
そう、要するに回り道が面倒なので屋根の上を通らせてもらうということだ。
ひと飛びに塀の上に登った千里は更に楼閣の上へと跳躍した。
どっしりとした黒い瓦屋根はなかなかどうして良い作りである。
日の傾きかけた空は直ぐに紫陽花色に変わるだろう。
見渡す限りの都の屋根の原、外れの田畑の向こうにはぐるりと黒い山々がある。
屋根に登った千里は一つ息を吸い込んだ。
そうすれば、この京の中にあっても、不安に押しつぶされないで居られる。
短く息を吐き出した千里は頓所へと足を早めた。
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