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弥生
愛らしい桃が散り、雪柳が冬を懐かしむように腕いっぱいに白い花を咲かせる頃、ここ西本願寺の桜もまた盛りを迎えていた。
春爛漫、新しい季節の訪れである。
千里は寺の境内を散歩がてら桜の花を拾って集めていた。
この間から始まった舞の稽古のために簪代わりの髪飾りに使うのだ。
一つ二つと拾っては髪に刺し、落とさないように歩く。
髪に刺せるほど良い枝はそうそうなかったが、なにせ広いことにかけては右に出るもののいない西本願寺である。
一刻過ぎてもまだ全ての桜を見てはいなかった。
やがて殆ど境内を一周した頃、充分な桜を集めた千里は辺りを見回した。
ここは西本願寺の裏手にあたる、新撰組の屯所へ向かう唯一の道だ。
もともと僧達は新撰組を厭うて寄り付かない上に、今は皆各々巡察や習練に忙しくここを通る者はいない。
非番の千里は何するでもなく境内を散歩するのが最近の趣味で、こうして花を集めては誰を待つでもないというのに通り道を眺めて過ごしていた。
待っているのかと問われれば『誰も』と答えるくせに、気づけばいつもそこにいた。
誰も来ない道だけれど、いつか誰か来ればいい。
そうすればここにいる理由が出来るというものだ。
しばし腕組みをして入口をにらんだ千里は、小さくため息をつくと桜の木を見上げた。
さすがは由緒正しき西本願寺。
植わっている桜一本にも歴史を感じさせる威厳というものがある。
その太い枝を見据えると、千里は軽やかに跳躍した。
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