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桜の太い枝に腰掛けて、幹に背を預けた千里は風に耳をすませて目を閉じた。
さわさわと囁くような風の音は歌に似ている。
あんまり似ているものだから、千里もついつい口ずさむ。
今ではたくさん知っているけれど、今でもふと口ずさむのは決まって同んなじ歌だった。
雪の白羽滔々と
降るは我が身に凍てついて
赤のまなこの山茶花が
一房落ちて首もなし
待つは小春に来る人の
咲もいわれぬ嬉しさを
たくさんの文字を覚えて、たくさんの言葉を覚えて、漸く歌の意味を理解したのはついこの間だった。
歌う度に大切な人の顔が浮かんでは千里の心を暖めてくれる。
この歌が遠くにいるものの心に届いてくれればいいのに、と思う。
そうすればきっと少しは早く帰ってみようかと思ってくれるかもしれない。
そう思って、頭に浮かんだ顔をしばしふくれっ面で見ていた千里は、は、と顔を向けた。
待っているのかと問われれば決まって「誰も」と答えるクセに、気付けばいつもここに居た。
いつか誰かが来たならば待っている意味もできようものを。
ゆっくりとした足取りはとてもとても懐かしくて、千里は何故だか泣きそうに顔を歪めた。
待っていたのかと問われれば、きっと「いいえ」と答えるけれど、勢い任せに抱きついた千里を受け止めてくれたことが、嬉しくて嬉しくてたまなかったのだ。
つぎつぎと溢れる涙が桜と一緒に風に舞った。
噛み締めて、聞こえるはずのなかった声に、その人は「ただいま」と答えた。
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