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春の清しい風に、鮮やかな新緑がそよぐ。
慶応元年、皐月の頃。
京、四条はつい数ヶ月前に長州との戦を経てなお変わらぬ活気に満ちていた。
以前と全く同じではない、決して。
皆はっきりと理解しながら、あるものは決断し、あるものは頑なに腰を上げず、ここに居る。
決断は何処か諦めにも似ていて、危険が迫りつつあるのにそれでも今あるものを、都を、守ろうとする意思を敬服の念とともにしばしば見つめていた。
右へ左へしなやかに。
秋月 千里は人の溢れる通りを迷いない足取りで進んでいく。
菖蒲に柳にツバメに藤。
娘たちの着物に咲く花は涼やかで凛としている。
楽しげに話しながらすれ違う同年代の少女を千里はふと横目で追った。
あぁきっと、千里の主である姫があんな着物を纏ったら、誰より可憐であるものを…
千里の仕える姫様は、理由あって男装して過ごしている。
父君を探すために身を寄せた組織が何せ女人禁制ときたものだから、やむなしというやつだ。
男装していても姫の美しさは変わらないが、時々不自由をしているのを間近で見ている分、少し思うところもある訳で…
千里の視線を何と受け取ったのか、少女達は頬を赤らめて千里に視線を返して来る。
は、と我に返った千里は曖昧に微笑んで慌てて視線を前に戻した。
ーいけない、気をつけないと…
近頃上司から口をすっぱくして言われているのは無闇に人の気を引くべからず、である。
どうやら千里の容姿は人よりよく目立つらしく、隠密・密偵に特化した部署に居るのには少しばかり不利なのだという。
そんなものなど知ったことかと少し前までなら思っていたが、友人を危険な目にあわせてしまってからはなるべく気をつけるようにしている。
相手を思うなればこそ関わりには気をつけねばならない。
とは言っても千里とて同年の友がいないわけではない。
そもそもこのような日和に一人街を歩くのも他でもない友に会いにゆくためなのだ。
老舗の菓子屋の娘であるその友は、危険な目にあって尚千里の友であることを選んでくれた、芯の強い人物だった。
今日は非番だから久々に会って話でもしようということになったのだ。
約束の刻限より幾分か早かったが、待つのは嫌いではない。
逸る足取りも軽やかに、緋毛氈の敷かれた行きつけの茶屋の暖簾をくぐった。
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