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西郷と島刀自愛加那
安政の大獄で江戸を追われた僧月照と入水し一人生き残ったことで、幕府の目を恐れた藩主により奄美大島龍郷村へ遠島の罰を受けた西郷は三年を島で過ごすこととなった。
歴史的なことはネットで見て貰う事にして素人の私は史実にもとづいた伝聞を述べようと思う。
私たちが聞いていた西郷隆盛という人物がいかに伝説化されているか西郷の伝記を読んで良くわかった。
我の郷里の家の仏間には明治天皇と昭和天皇の額写真がありまた西郷さんの写真が飾ってあった。それだけ西郷さんは島人の尊敬の的でもありました。
龍郷村に配流された西郷は浜の近くに牢がしつらえてあったが、鍵は掛かることはなかった。
というのも、島流しと言う罰はその島からでなければ島内は自由に出歩くことができたのである。
しかも西郷には6石の扶持米が与えられている
生活と監視を村の長である龍差民がみていた。
初め西郷は島民に対してよい感情は持っては居なかったらしい
唐人扱いで卑しんで親しもうとはしなかったというから以外である
敬天愛人のイメージの強い西郷にそんな偏見があったことにも以外である
理由は島人の側にもあった。
理由は薩摩の圧政による島民の困窮にあり、憎い大和人{イシュギリ}である役人{侍}に対する反発心でもありました
西郷はその性格から島を見回りいかに島の人が貧しく税に苦しんでいるかその大きな目で確かめた。これはやりすぎだと代官に申し入れているがこれは代官レべルで解決するような問題ではなかった。
藩にも何度か改善を進言している。
いよいよ愛加那の登場である。
龍差民の孫娘に西郷の身の回りの世話をさせることにした。
愛加那は機織をしていたのだが、おじいちゃんの命令で島刀自{妻}にさせられた。愛加那は嫌でもなかったらしく、かいがいしく西郷の世話をした。
間もなく愛加那は身籠った長男菊次朗の誕生である。
そして長女菊双が生まれる。
龍郷村の浜辺に西郷松と親しまれた松の木がある。
西郷が板付け舟を繋いだとされる松だが松食虫にやられ枯れてしまい枝は全て切り取られて幹だけが残されていた。
龍差民から三人の子供の教育を頼まれた西郷は大久保利通にあてた書状に10ばかりのがきで何の役にも立たないと書いている。
そのうち生麦事件に端を発し薩英戦争が起こり倒幕運動となり帰鹿する。
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