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「そっか……今日は『母の日』だったんだ……」
母の日。
日本では五月の第二日曜日に祝うとされ、一般的に、日頃の母の苦労を労り、感謝を示す日とされているが。
(だからって、それがなんだって言うんでしょうね……)
一瞬ほど興味を示した言葉だったが、その熱は急速に冷え込む。
他の家庭ではどうかは知らないが、少なくとも私の住むこの家、この家族の中では、母の日に特別何かを行うという行事や習慣はないのだ。
去年の母の日にしろ、ウチの人間は誰一人として何かを行おうという行動が見えず、いつもと変わらない「ただの一日」だったことを思い出す。
だからかもしれない。母の日と聞くまで今日がその日である事に気付かなかった。
「馬鹿馬鹿しい、て言葉はこう云う時に使うものなのかしらね?」
出した言葉通り、とても馬鹿馬鹿しく滑稽なことに思えた。
別に母の日だから見返りや労りの言葉が欲しいと思っている訳じゃない。いや、あるにこした事はないのだけれども、ただふと気になっただけなのだ。
ずっと前から続く積み重ね。一般的に見て、私の家庭は「普通」なのだろうか? それとも私は、「普通」の家庭より不自由なのか? と。
よくわからないが、でも、この私の不自由は、うちの家庭では過去から続く、何の変哲もない、変えようのない「普通」なのだろう。
だったら、それを私は「普通」と認めて、受け入れるしかないのかもしれない。
「でもそれってやっぱり、“不自由”なのかなぁ……」
抜けられない思考のループ。
それに気付き、薙ぎ払うように首を左右へ振る。
結局は、人の感じ方。感性が物をいう世界。現時点では少なくとも私はこの生活が「普通」だと認知してるし、この世界自体が「不自由」であると考えている人間である故に、余計に「普通」だと思っているのかもしれない。
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