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関東龍仁会系雷文組…東京でも西部をシマに持つ組だ。
組長の雷文 十郎太が組長を引き継いだ時は、地場のシマを守る小さな組だったらしい。今では地場の小さな組をまとめながら東京西部を傘下に収めた。
その配下の組に地場を守らせつつ、親父はよその組との駆け引きを若頭の北川は金の管理、叔父貴の雷文洋太郎は配下の組の管理をしていた。
金と親父の人望でどんどん組は大きくなるばかり。
自らは資産家や政治家と陰の取り引きをし、潤沢な資金を得ている経済ヤクザだ。若頭の北川は昔、証券会社のエリートだったらしい。
詳しい事情は小さかったからよく分からない。
組長と若頭の北川は大きくなった組の金を一手に動かしている。
龍仁会の中でもひときわ大きな組で、金周りもいいので親父は別格扱いだ。
俺、雷文 虎太郎は組長の一人息子で三代目だ。
母親の雷文 藤子は十郎太の二度目の妻。
最初の妻との間に子供はなく、
親父を裏切り他の男と逃げたため消されたとか…。
そんな怖い話を若い衆が噂しているのは、小耳に挟んだことがある。
ヤクザの常套だ。そんなことで動じない子供になっていく。
俺は親父にとって、歳をとってからの一人息子で、北川と親子に間違われることが多かった。
藤子は元暴走族の頭で、族が一斉摘発にあったとき、親父が助けたのが縁だという。
唯一の跡継ぎとして甘やかされて育つ。
同世代の遊び友達は誰も寄り付かなかった。(家業が家業だしな・・・)
いつも若い衆が敷地内で遊んでくれるという窮屈な生活だった。
外に出ると誘拐やハジキが飛んでくる事もある。
幼稚園に入るまでは外の世界を知らずに育った。
まるで井の中の蛙。お山の大将だった。だから周りは大人ばかりで、わがままで自分の思い通りにならないと暴力を振るう子供だったらしい。
大人はみんな格下で殴っていい存在だった。
父も母も忙しく外に行っていたので俺付きの権藤が親代わりだった。
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