知的障害者とは?

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日本国外での歴史 19世紀以前にも重度の知的障害者はいた。しかし、軽度の知的障害者の場合は、それほど支障なく社会生活を送れてい た。しかし、近代的な学校制度が普及するにつれて、年齢主義的な進級制度が広く行われるようになり、年齢基準の学 年編成では、遅れをとる児童の存在が無視できなくなった。そのような児童生徒は、単純な怠惰や学業への無関心のため に成績が悪い生徒と、努力しても成績が悪い生徒の二種類に分類できた。1905年に、フランスのアルフレッド・ビネーが 世界初の知能検査を公表したが、これ以降、知的障害の児童は、厳密な診断のものさしで区分されることになった。ビ ネー死後、知能検査はさまざまな心理 学者によって改良され、現在では知能指数を基にして知的障害を判定するように なった。 福祉国家スウェーデンの不妊手術をはじめ、諸外国でも知的障害者は社会的に抑圧されてきた。 日本での歴史 江戸時代中期の医師(漢方医、古方派)で儒学者である香川修徳(香川修庵)は、その著書「一本堂行余医言(いっぽんどう こうよいげん)」の巻5にて「痴?」として記述している [3][4] 知的障害者福祉は民間から始まった。明治20年代に立教女学院教頭の職にあった石井亮一が、孤女学院を開設したことに はじまる。濃尾大地震の震災孤女を引き取った亮一は、孤女の中に知的障害児がいたことで強い関心を示し、アメリカへ の二度にわたる留学を経て、日本初の知的障害者福祉施設滝乃川学園を開設したのが、日本における知的障害者福祉の先 鞭である。亮一は、夫人筆子とともに知的障害者福祉事業に生涯をささげ、後には日本精神薄弱児愛護協会(現・日本知的 障害者福祉協会)を設立した。 重度障害児には就学免除などが適用されていたが、養護学校は1979年に義務教育の学校となり、重度障害児も入学可能と なった。 『障害者白書』平成21年版によると、厚生労働省が確認した日本国内の知的障害者数は約55万人(在宅者約42万人、施設入 所者約13万人)。
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