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通い慣れた稽古場に、長唄が流れる。
傘を持ち、しっとりした音調の中、私は人形のようにただ踊っていた。
そしてここからが見せ場だというその瞬間、先生の声によって唄が止められる。
「やめっ!」
同時に、手をパンパンッと叩いた。
私は躍りを止め、先生へ顔を上げた。
「何度言ったら伝わるのかしら!?そんな躍りでは、お披露目なんてとんでもない!」
…また始まった。
「いいですか!?ただ傘をさしていればいいだけじゃないんです!踊るんです、舞うんです!」
ホント嫌になる。毎回毎回、言われることは決まって同じ。
「お披露目は来月に迫っているというのに…。できるなら椿さんを踊らせてあげたいくらいだわ。昨日の踊り、とても素晴らしくて完璧だったのよ。…あなたとは大違い」
最後は必ず妹と比較されるのだった。
私だって、椿と変われるものなら変わりたい。
長女というこの立場から抜け出られるものなら抜け出たい。
いっそのこと、大河内の名も捨ててしまえるならば…!
腹立つ思いを噛み締め、着替えを済ませた私は勢いよく稽古場から出ていった。
毎週のように、習いたくもない日本舞踊の教室へ通っている私の思いは爆発寸前。
このまま何処か遠くへ行けてしまえたら…、そう強く願うのだけれども。
「柚花様、お疲れさまでした」
私の姿を見つけては、世話役の坂本がすぐに声をかけてきた。
車に乗るようにと自動的にドアを開け、私が乗り込むのを待っている。
その坂本に視線を向けることもせず、流れるままに車の中へ入り、ドスッと深く座り込んだ。
坂本はドアを閉めると運転席へ回り、車を走らせる。
「本日のお稽古は、いかがでしたか?」
その問いかけに、私は返事をしなかった。
「お披露目は、来月でしたね?」
「…うるさい。疲れてるの。黙ってくれない?」
私は窓から見える景色を見つめ、ボソッと呟いた。
坂本はその言葉に微動だにせず、車を走らせる。しばらくして。
「この後は、お華の教室へ向か…」
「疲れてるって言ってるでしょ!?行かない!家に戻りなさい!」
「ですが、お嬢様。そうおっしゃって先週もお休みされています 」
「だから何!?私は疲れたの!いいから帰りなさい!」
そう強く言い放った。
バックミラーで私を確認してくる坂本にも腹が立つ。
まるで私を監視するようなその瞳に、今、どれだけ苦しめられていることか。
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