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その森は、街からさほど離れてはいない処にあった。
人の手が入っておらず、夜は月の光でさえ遮ってしまう、鬱蒼としげった森。
いかにも何か居ますよと主張しているその森は、黙っていると気が狂ってしまいそうだった。
細い糸でも張り巡らせたかのような静寂、湿り気さえ帯びていそうな真っ暗闇。
そんな中を、彼は長剣を手に歩いていた。
既に何体か切り伏せているらしく、その剣は血に濡れている。
「鬼さんや、出ておいで……このボクが殺してあげるよ」
どこか愉しそうですらあるその声は、深い闇の中に吸い込まれていく。
はたしてどちらが怪物なのか……彼の嬉々とした顔を見たら、誰もがそう思うに違いなかった。
そこら辺にいる雑魚では相手にならない。
彼が心待にしているのは、ターゲットのみだった。
(鋭い爪、尖った牙……)
ほぼ妄想にも近いターゲットの姿、主に凶器を思い浮かべて口角を歪める。
彼にとって、強者と戦うのと同じくらい、凶器を持った怪物と戦うのは楽しみだった。
だからこそ、活動時間だと思われる夜をわざわざ選んでやって来たのだ。
それだと言うのに、姿を見せるのは雑魚ばかり。
上がったテンションもそう長くは続かず、彼は大きなため息をつく。
「まだるっこしー……ホントに居るのかよ、鬼なんて」
その時。
後ろの方で、微かに空気が揺れた。
……居る。
しかも鬼という単語に合わせて空気が揺れたことから、今までの化け物じみた鬼とは違って言葉を解しているということが分かった。
なら、誘き寄せるか……
彼は一度唇を湿らすと、わざとらしく空を仰ぐ。
「居るとしたら、とんだ臆病な鬼だなァ」
イライラとしたのを前面に押し出した声で言うと、その台詞に反応した気配がこちらへと向かって来た。
どうやら相手はよっぽど短気か、あるいは相当腕に自信があるらしい。
でなければこんな見え透いた挑発に乗るはずがない。
「誰が臆病だ?オイこらテメェ……っ」
背後から気配を消そうともせずに現れたのは、随分とご立腹な様子の、だがごく普通の青年だった。
ただ、その頭……側頭部に生えた角と黄色く輝く右目が、彼が異形の者であるということを主張している。
「ようやっとお出ましだね、臆病鬼さん……」
短気であるという確率にかけて輪を掛けるように挑発すると、青年の眉間に深くしわが刻まれる。
どうやら彼は、短気な性分らしかった。
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