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その微かな笑い声に、再び彼にからかわれていたのだと気付いた瀬名は、唇をぎゅっと結ぶ。
と同時に、二人を乗せた車は瀬名の自宅アパート前へ到着し、車道の脇へと停車された。
「……っ、ありがとうございました。
あの、ここで待っててもらえますか?この間借りてしまったスーツ、渡したいので…っ」
「あぁ」
瀬名は懸命に声を振り絞ると、水上の相槌も待たないうちに急いでドアに手をかける。
目の前で揺れた彼女の後ろ髪を、水上はじっと見つめていた―――。
そそくさとアパートの階段を駆け上る瀬名を道路脇の車内から無意識に追っていた水上は、
彼女が自室に戻り姿が見えなくなると、車のエンジンを止めるべくスマートキーのボタンを押した。
革張りのシートに身を預け、後頭部に腕をまわして大きくもたれ掛かる。
「…ふぅ」
と、他に誰も居ない車内に一つ溜息が落とされる。
息を吐いた水上の脳裏に浮かんだのは、今しがた車から飛び出していった瀬名と、名も知らぬ男性の姿だった。
(あの人は誰だったんだ…)
それは今日の夕方、ソレイユに向かう1時間も前の出来事。
アパートから去り何処かへ向かう彼女と、彼女の隣に並び歩く一人の男性。
(いや、正確には男の方が少し前を歩いてたな…)
黒い革ジャケットに細身のデニムパンツ、短髪、そして眼鏡を掛けていた人物は自身とほとんど変わらない年齢のようだ、と水上は思う。
顔を見る事が出来たのが僅か数秒ながら、鮮明に特徴を憶えてしまった己に驚きもしてみるが。
ただ、あまり気分が良いものではない。
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