ふたりきりの夜。

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“言ったよ、一目惚れだって―――” たった今、涼が放ったものと同じ単語を用いて。 同じ様にスーツに身を纏って。 そう言った一人の男性の姿が脳裏を掠めて、ざわざわと、瀬名の胸を掻き乱す。 もう何日も声を聞いていないのに。 ずっと、自分に向けられた顔を目にしていないのに。 低く穏やかな質のある声も。 少し横に流した柔らかなブラウンの髪も。 会う度に微妙にトーンが変わっていた青いネクタイも。 その上から羽織られたジャケットも、高身長に見合った広い背中も―――。 全てが、鮮やかに蘇る。 顔を覗き込む涼から注がれる、優しくも熱を秘めた視線。 正直な想いの丈を込めた、真っ直ぐな告白の言葉。 そのどちらもを受けながら、自身の心に浮かんだ別の男性のシルエットに瀬名は躊躇いを覚える。 (……どうして、私…!) 瞳を揺らして何かを言わんとする瀬名の表情に、涼は何かを感じ取ったのか、 目の前の想い人の小さな頬に当てていた手のひらをゆっくりと離す。 困った顔をしないで、と彼女に願ったばかりの涼は、眉を歪ませて苦しそうに口を開いた。 「…瀬名ちゃんは、水上さんと…付き合ってるの…?」 「……っ、付き合って、は…」 瀬名は俯きながら首を横に振る。
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