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(生保…)
瀬名は白くなりかけた思考を何とか巡らせて、それが『生命保険の外交員』を指している事に気が付いた。
いつだったか、今のアパート住まいに慣れてきた頃、とある生命保険会社のセールスに来た営業が女性だった。
おそらく薫も、同じ類の仕事内容だろう。
断るのが上手い沙那が玄関先で体良く追い払ったのは自分の母親と年の変わらなそうな中年の女性で、大変な仕事だと他人事のような印象を抱いた覚えがあった。
「前社長には色々良くしてもらったわ。
何件も加入してくれたり、知り合いに勧めてもらえたり。
個人的に高級マンションを安く貸してくれた事もあったわ。
他にもたくさん。
彼には数えきれないくらいの恩があるのよ」
薫の口振りは、どこか思い出を懐かしむような風だ。
故人とはいえ『彼』と表すからに、前社長とは個人的に深い付き合いがあったのだと窺える。
「でも、その恩を返せないうちに、彼は早世してしまった」
どくん、と瀬名の心臓が打ち上げた。
「生前はよく言っていたわ。
『鷹洋が働く姿を早く見たい』って。
結局その願いは、生きているうちに叶わなかったけれど。
だから私がその遺志を受け継ぐ事にしたの。
生前出来なかった、精一杯の恩返しのつもりでね」
「それで、水上さんに構って…」
「ええ。叶えられなかった彼の志が実現しているんですもの。
それを守るのが私に託された使命だと思ってるわ。
だから…」
薫の射抜くような視線が飛ぶ。
「主任の事は、諦めてちょうだいね」
淡々と浴びせた言葉は、瀬名の心を容赦なく突き刺した。
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