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近辺の営業ルートで彼女の勤め先のマンションの前を通り、無意識に足が向かってしまっていたが。
遭遇したのが涼で良かった、と結果的に思う。
(今はまだ瀬名には会えない)
あの問題に関わる全ての人と話をして、全てのケリをつけてからでなくては。
水上も一歩を踏み出した。
今度はマンションに背を向けて、虚ろでなく、明確な意思を瞳に宿して。
その日の夜は、太陽が姿をくらませたところで不快指数は昼間の延長で酷く蒸し暑かった。
仕事を終えた水上は、自室のマンションの玄関扉を開けた。
壁のスイッチを押すと、誰も待ち受けていない暗がりに明かりが灯る。
真っ直ぐ、リビングまで突き進む。
部屋の隅に鎮座するスチール製のサイドボードの前に立つと、一番上段の引き出しを開けた。
取り出したのは、一枚の封筒。
長4サイズのクラフト地の上には、癖のあるボールペン字で『鷹洋へ』の三文字が縦に並んでいる。
封筒の口は糊で閉じられている。
水上は同じ引き出しに入っていたハサミで、丁寧に封を切った。
封入されていたのは、和紙に似た白地に罫線が引かれただけのシンプルな一筆箋。
取り出した紙面に視線を落とした水上はその場に立ち竦んだ。
「……親父…」
端無く漏れた掠れた声。
紡いだ唇はやがて震え、噛み締める水上はしばらく俯いたままだった。
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