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「あーもうっ、何で出ないのっ」
沙那は耳に押し当てていた携帯を離すと、ディスプレイに向かって問い詰める。
通話を懇願する相手は他ならぬ彼だ。
「お姉ちゃん、頼まれてほしいんだけどさ」
「うん?」
「さっきからアイツに掛けてんだけど、運転中なのか繋がらなくてさぁ。
九時にウチに来る事になってたけど、仕事入っちゃったから時間変更したくて。
一応メールで連絡したけど、もしお姉ちゃんがウチにいる間に来ちゃったら説明しておいて」
瀬名が「了解」の声と同時にポーズをとると、沙那の姿が駆け足で消える。
「行ってきます」は重たい玄関扉が閉まる音にかき消された。
星也が来る可能性があるとあらば、早急に身なりを整えなければならない。
妹の彼氏とはいえ、職場では自分の上司である。
時計を見れば、九時までは長針があと四分の一周。
(Tシャツとショートパンツはいいとして…)
瀬名は急いで洗面所へ向かい寝癖のついた髪を直し、今度はリビングに移りそれなりの化粧を施しにかかった。
眉を引き終えたタイミングで部屋に響いたのは、インターホンの呼び出し音だ。
「やっぱり来た」
星也さん、沙那のメール見てなかったんだ。
そう独りごちて、真っ直ぐ玄関に突き進んで扉の施錠を解いた。
玄関を開ける前にインターホン越しに訪問者に名を尋ねなかったのは、彼女の改めるべき悪い癖だ。
そして確認を怠ったからこそ、目の前に佇む訪問者の姿に息が止まるほどの驚愕を覚えたのだろう。
放心したままの瀬名の口だけは小さく動いて、訪問者の名を呼んでいた。
「……鷹、洋さん…」
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