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掃除を終えたらしき薫に、三歩程離れた地点から呼び掛けられていた。
「あぁいや、いい。自分でやる」
水上が給湯室を訪れると、無人のそこは窓も無く消灯されているため真っ暗だ。
社内分煙が叫ばれて以降、唯一の喫煙スペースとして認められ、時には多くの喫煙者でごった返す場であるが。
まだビル内に数える程の社員しか居ないようで、今は極めて静かな空間だ。
エスプレッソマシンに豆の入ったカプセルをセットし、カップへ注がれる液体をぼうっと眺める。
芳ばしいコーヒーの香りが鼻をくすぐって、水上の脳裏に浮かんだのは、やはり彼女の姿であった。
“水上さんは、私よりずっと大人です”
いつだったか、自分を称え、微笑む瀬名の姿が瞼に浮かぶ。
(違うんだ、瀬名。
俺は…君が思うほど大人なんかじゃない)
余裕なんてないんだ。
君を抱きたい願望に固執して、叶わない現状に苛々を募らせてる。
欲と嫉妬の塊だ。
どうにか繋がりが欲しくて、下の名で呼んでほしいと子供みたいにすがって。
無理矢理呼ばせたところで、強固な絆で結ばれる訳でも、意思の疎通が鮮明に図れる訳でもないのに。
彼女と同じ職場である長浜星也という男の方が、自分の知らない彼女を知っているような気がして。
無性に歯痒かった。
容易く名を呼ばれてるなんて、悔しかった。
彼の方が先に瀬名に出会っているのだし、交際関係にあるのは自分なのだから、比較対象にするのは間違っている。
そう分かっているのに、苛々をぶつけて彼女を困らせた。
(最低だ)
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