手放したもの。

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手放したもの。

身バレした一件からしばらくして、私にとっては予想外な、土方さんにとっては想定内であろう出来事が突然起こった。 あの件から下働きをしながらも、私の事情を知った人達は周りに言い触らすわけでもなく口を閉ざしてくれていた。 未来からきた人物だから利用しよう。土方さんは一時だけそう思っていたみたいだけど、それは無くなって当初の思惑通りにそれが現実になった。 (遠目からしか見えない……) 今起きている出来事が果たして現実なのか、私は信じることが出来ないでいた。表に出てくるなと言われてるからには確認しようもない。ただ、一さんや周りの人達の反応を見ると、やはりそうなのだろうと。 そばに居てくれるお千代さんを見れば、これでいいのよという風にうなづいてはいるけれど、この出来事がどう転ぶのか不安な様子だ。かく言う私もどうすればいいのか、このまま従えばいいのか、いや、きっと答えはもう出ている。 隊士達が慌ただしく表へ駆けていく。その中に沖田さんがいて、私の方へ来たかと思うと「もう大丈夫です」と言って行ってしまった。何が大丈夫なのだろうか、私にとっての大丈夫なのか、沖田さんにとっての大丈夫なのか。 (本当にバカだ……) こんな所まで来るなんて思わなかった。吉田さんは頭のいい人だって思ってたけど、こんな軽はずみな行動するほどバカだったなんて。だけど、それがどこか嬉しい自分もいる。きっとそれは……。 (私も覚悟を決めなきゃ) 隣にはいつの間にか一さんがいた。表にいるはずであろう吉田さんに会わせないようにと私を奥の部屋へと連れて行こうとする。 「一さん、私は──」 「お前の言いたいことは分かるが、そう簡単にはいかない。奴の立場を考えてみろ。どの道袋のねずみだ。あいつのもとへは行けない」 (やっぱり) どうやら難しいらしい。そりゃそうだ、吉田さんはわざわざ壬生浪士組から名を変えた新選組の屯所に、身一つで来たのだから。それももともと辻斬りの下手人ではないかと疑いをかけられている。脱藩した浪人でもある。そう易々とここから出してくれるとは思えない。今、表では土方さん達と吉田さんが話し合いをしているのだろう。いや、話し合いどころじゃないか。 (私には何も出来ない……) 命乞いをするべきだろうか。お願いだから吉田さんにひどいことはしないでと。 ここで一生下働きをして、未来のことも利用したいのであれば協力する、だから今回は見逃してくれないかと。 一さんに意を決してそれを伝えると、滅多に表情を崩さないその顔を苦しそうに歪ませた。 「そんなに、思ってるのか?」 (ああ、やっぱり私は──) 口に出したことで、一さんに問い返されたことではっきりと自覚した。自分のことを犠牲にしてでも守りたいと思っていることがその証拠だ。 (私は吉田さんのことが好きなんだ) ゆっくりと私はうなづいた。それを受けて一さんは目を逸らした。 「もう、俺には何も出来ない。千歳もそうだった。一度こうと決めたら曲げない頑固者で……」 「ごめんなさい……」 「行けばいいあいつの所に」 監視役として吉田さんに会わせないように付けられたはずなのに、一さんは行けと促した。その事で責任を問われるかもしれないのに。 一緒にいたお千代さんも私のことを促す。その時、沖田さんが表からやって来た。その表情は何故だかとても暗い。 「小春さん、表へ来てくれと土方さんが……」 吉田さんとの接触を土方さんは嫌がるかと思ったのに、意外なその言葉に沖田さんへ問い返そうかと思ったけど、どうやら話したくないとその顔が訴えていた。 大人しくついて行く。後ろにはお千代さんと一さんも。 島原で遠目から会って以来だ。心臓がとてもドキドキする。どんな顔をして会えばいいか、吉田さんはどんな表情をしているのか。早く知りたいはずなのに、それが少し怖くて、歩む歩幅が少しだけ狭くなる。 屯所の表のひらけた場所に着いてみれば、腕組みをしている土方さんと隣に近藤さん。それに対峙するようにその人はいた。 吉田さんは私の顔を見るなりこちらへ来ようとしたけれど、土方さんに制された。代わりに、鞘に収まったままの刀を手に近藤さんが私の元へとやって来る。 「悪いね」 「あの、近藤さん──」 「こちらとしてはあの男を捕縛したいところなんだが、どうも事は上手いこと進まないらしい」 そう言って見せられたのは、手に持った刀だ。 「これは?」 「吉田のものだ」 (吉田さんの? ということは──) 何を意味するかは薄々気づいていた。 「君を返せと、それと引き換えに刀を差し出しきた。武士が刀を差し出すというのは何を意味するかは分かるね?」 (ああ、バカだ。こんなにもバカだとは……) 武士の刀は命も同然。それを相対する者に自分から差し出すということは、命を投げ出すも同然で、それほどに切羽詰まっているということだ。 「頭こそ下げはしなかったが、やって来ていきなり刀を放り投げてきた。辻斬りの下手人の嫌疑がかかっている人物を逃がす訳にはいかないし、脱藩した長州の浪人でもあるが、これほどの覚悟をこちらは無下には出来まい」 「ということは?」 「……今回だけだ」 見逃してくれるということだろうか。そんな都合のいい話があるだろうか。土方さんの顔を見ると、どうやら苦悶に満ちた表情で近藤さんの意見には逆らえないらしい。 「噂話というものは怖くてね。たとえ真実でないにしても、信じる人はいるもんだ」 なんの話かと聞くと、私が島原の輪違屋からいなくなって数日経ってから瓦版が出たらしい。そこには新選組が輪違屋の新造をかどわかしたと書かれていたそうだ。 (その新造って私のことだよね) たとえはったりだとしても瓦版まで出たのだから、ここ最近の新選組に対する町の人の目はそれはそれは冷たいものだったらしい。輪違屋といえば老舗の置屋だ。噂話というものは火の如くあっという間に広がる。それが京での活動を拠点としている新選組にとっては痛手であり、今後の新選組の活動の中で町人に協力を求めたとしても、今回の風評によって上手く事が運ばなくなるのは目に見えている。 私は屯所から出られずに今まで情報を遮断されていたから、こんなことになっていたとは知らなかった。 「荷物をまとめてきなさい」 そんな近藤さんの言葉は、少しだけ寂しさを感じた。
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