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まとめる程も無い荷物をまとめに、しばらくお世話になっていた部屋へ行くと後ろから一さんがついて来た。
「一さん?」
「今まで悪かった。どうも区別できないでいたようだ」
そう発した言葉から、懐かしむかのように一さんは語り出した。
「最初は千歳に似ているだけかと思ったが、性格や仕草まで瓜二つで、千歳が生まれ変わってやって来たんじゃないかと思った。お前が未来からきたと聞いてからそれは確信した」
だから一さんは何かある度、土方さんに刃向かってでも私の味方についてくれたんだ。
「千歳のことは守れなかった。だから今度こそは守ってやろうと、どこか思い込んでいたのかもしれない。だが、お前はお前で、千歳は千歳で違う。同じ人間ではないのだから当たり前だ。お前が選んだ選択を俺はどうこう言える立場じゃない」
すまなかった、と最後に一さんは呟いた。
だけど私にとってはそうやって気にかけてくれただけでも物凄く嬉しかったし、そのおかげでこの屯所内でもやっていけたのかもしれない。だから一さんや沖田さんにはとても感謝している。
「じゃあな。今度会う時はありのままのお前を見たいと思う」
そう言ってすれ違いざまに、私の頭に手のひらをぽんと乗せて部屋を出ていった。
私は荷物を手に持ち炊事場の方へ向かい、今までお世話になった女中さん達に挨拶をしに行った。お小夜さんはじめほとんどの人がいきなりの出来事でびっくりしていたけれど、別れを惜しんで送り出してくれた。
そのまま表へ戻ると何やら剣呑な雰囲気で沖田さんが吉田さんに食いかかろうとしているのを二人の隊士達が引き止めていた。その様子なんかお構い無しに吉田さんは平然としていて、私の姿を見つけた途端、つかつかとこちらに歩み寄ってきた。
「あの今まで──」
私の問いかけに吉田さんは無視。そのまま私の手首を掴んで歩き出し、屯所から出ようとした。
(え、このまま出るの?)
「え、ちょっと!」
吉田さんは一刻も早く、とりあえず早くここから出たいらしい。一応なんやかんやお世話にはなったので別れの挨拶をしようと思ったのに、あまりにも手首を引っ張る力が強い。しょうがないので首だけ振り返り、
「お世話になりました!」
と、手を引っ張られながら告げて屯所を出た。
***
別れはとても素っ気ないものだったけど、ただ各々の立場が違うだけで根はとてもいい人達だった。
(土方さんとは出来れば二度と会いたくない)
相変わらず吉田さんの引っ張る力は強い。屯所を出れば多少治まるかと思ったけど、一向にその気配がない。歩幅も足の長さからして私の方が不利なのに、緩める気配もなくこっちは小走りだ。
「吉田さん!」
息も絶え絶え。さっきから何度も話しかけてるのにずっと無視。どんな顔して会えばいいかとか、最初はどんなことを話そうか悩んでいたのが馬鹿らしく思えてくる。
ずっとそのまま歩いていると、見覚えのある建物が見えてきた。輪違屋だ。表玄関ではなく裏口へと吉田さんはまわる。裏口の前では輪違屋の旦那さんにおうのさん、桜さんまでもが出迎えて待っていた。
「よくぞご無事で」
輪違屋の旦那さんは深く吉田さんに頭を下げた。おうのさんも胸に手を当てて安堵している。顔ぶれを見る限りだいぶ迷惑をかけてしまったみたいだ。
「皆さん、大変ご迷惑おかけしました」
「礼なら吉田さんに」
旦那さんはそう言って、おうのさんも同じくうなづいた。聞くと吉田さんが自ら動いて瓦版に記事を書いてもらったり、輪違屋の用心棒を勤めながら情報を集めたり、他の置屋の芸妓に頼んでお客さんに私の情報がないか聞くように頼み込んだりしていたらしい。もちろんおうのさんや桜さんも同じことを。
色んな人に支えられて、それと同時にとてつもなく心配してもらっていたのだと感慨にふけっていると、突然何かが私にアタックしてきた。正確に言えば抱きついてきたのだけど。
「入江さん?」
「そうだよ! 一体全体どうしたの? 新選組の屯所にいるだとか聞いたからさー」
久方ぶりの再会だけど、未だに抱きついているその人の顔がとても近いので、思わず顔がひきつる。
「え、久しぶりの再会なのにその顔ひどくない?」
「入江さんも会って早々抱きつくとか気持ち悪くない?」
「やだなあ」
嫌味で同じ口調で返してやってはみたもののお構い無しだ。気持ち悪い。
「ねぇ、お千代ちゃんはいたの?」
「お千代さんですか? いましたけど──」
「じゃあ本当に新選組の間者だったの!?」
「間者というか……」
間者なのは間違いない。だけど私にとってはそんなの関係なしにどんな時でも味方でいてくれた。未来からきたことも知った上でそれでも親切にしてくれた。それより何故入江さんはそんなこと聞いてくるのだろうか。
(あ。そうか)
「あいにく、お千代さんには許嫁がいたみたいですよ。新選組の監察方に幼なじみがいたみたいで名前は──」
「あー! いいよ! もういいよ! そんなのは聞きたくない!」
入江さんは耳を塞いで頭を振り乱している。
(へへん、ざまーみろ)
心の中で嘲り笑っていると、私の両肩を鷲掴みしていた入江さんの手首を誰かが掴んだ。
「ねぇ九一、そろそろ話はいいかな?」
その手は黒い笑みを浮かべた吉田さんのだった。見ると掴んでいる入江さんの手首がうっ血してきて拳が白くなってきている。
「ごごごごめんって! 俺なんにもしてないじゃん!」
「入江さん、やっとの再会なのに無粋やわ」
そうおうのさんに窘められる入江さん。おうのさんによると、一度は久坂さんと京を離れたみたいだったけど、新選組に私がいてそこにお千代さんがいると知った途端に京に戻ってきたらしい。つまりお千代さんが目的であって、私と吉田さんを心配して出迎えていた輪違屋の人達とは違うというわけだ。
「もういいかな。ちょっと話がある」
吉田さんは集まってくれた人たちをかき分け、輪違屋の借りていた一室へと私を引っ張っていった。
「あの吉田さん……」
「なに」
「痛いです」
部屋についてから、私は吉田さんに手首を掴まれたままお互い向き合って正座という状態だ。
「君は自分の置かれてる状況分かってた?」
「え?」
「どうしてこうも……」
「アホだと言いたいんですか」
「全く分かってない。去り際に世話になったと言う必要がどこにある」
どうやら、屯所を出る際に私が挨拶したのが気に食わなかったらしい。
「それはしょうがないです。瓦版とかさっき聞かされるまで知らなかったし、女中さん達やお千代さんはとても良くしてくれたので。第一、吉田さんは私なんか目もくれずに京を離れてたと思ってたので……」
自分でも今の今まで状況わかってなかったと思う。女中として働いてたとはいえ、人質という実感はあまりなかったのだと思う。
「無事でよかった……」
「え?」
抱きしめられた。唐突に。吉田さんの着物からは微かにお香の匂いがする。鼻腔いっぱいにその匂いが入ってきて……。
「……く、苦しいです」
抱きしめる力があまりにも強くて苦しかった。だから抱きしめられている余韻にも浸る余裕もなく、気を失いかける寸前で離してくれた。
「あの、吉田さん──」
痛くて苦しかったと抗議しようと見上げると、今までに見たことのない、安堵したような、けれどどこか苦悶な表情のその人がいた。いつもの吉田さんじゃないから、いつもみたいに私も言い返せなくて、素直に、今までのことを謝った。
「怪我は?」
「怪我なんてしてません!」
「だけどあの時刺されたよね?」
「あー、刺されはしましたが治りました!」
「……」
「その目疑ってますよね? 本当に跡形もなく綺麗に消えたので大丈夫です」
「まるで刺されたこと自体無くなったような物言いだけど」
「だって消えたんですもん」
「……」
「あ、えっと、その」
「嘘をつくなら今ここで着物を剥ぐけど」
「う、嘘じゃないですよ! 剥ぐだなんて変なこと言わないでください!」
吉田さんのことだから冗談でもやりかねないから怖い。だけど、なんだか変だ。なんか心配してくれてたり……。
「明日には萩へ発とうと思う」
「え? 早くないですか? なんだかドタバタして休む暇もないというか」
「僕は脱藩浪人だよ。どこに目があるか分からないし、何かあった時にはもう遅い。また君が刺されたりとかしたらどうするの」
「……なんで私の心配するんですか? 前は君は物だとか物体だとか人間じゃねぇみたいに言ってませんでした?」
「……とりあえず荷造りしたらどう」
(あ、話逸らした)
正直荷造りするほど荷物は持っていないし、さっき荷物まとめて新選組の屯所から出てきたばっかりだからすることなんて特にない。部屋を見渡す限り吉田さんも荷物をほとんど持っていないらしい。
「吉田さんは書物とか持ってこなかったんですか?」
「書物は一度読むと頭に入るからいらない」
「じゃあ松陰先生の書物は?」
「……それも置いてきた」
「えっ」
「そんなこと考える間もなく急いでいたから」
それはつまり、私のことが心配だったから荷物をまとめることなく身一つで長州を脱藩してきたってことですか。
「ごめんなさい。私のせいで、刀も失くしたし書物も置いてきちゃったし……」
「刀は別に構わない。代わりは手に入れようと思えば手に入る。書物も全部頭に入ってる。君だけは代えがきかない。僕の目の前で君が刺された時は生きた心地がしなかった……」
あの時そんな風に思ってたんだ。別れ際がそんなだったから吉田さんも脱藩してまで心配して探し出して、こうやって助け出してくれた。私は助けられてばっかりだ。
「助けてくれて、本っ当にありがとうございました」
「本当にそう思ってる?」
「思ってます。そこまで心配してまで助けてくれて」
「僕はてっきり余計なことをしたかと思ったけど。あの男とはどんな関係なの?」
「あの男? 沖田さん?」
「違う」
「一さん?」
「名前で呼ぶんだ」
(拗ねてる?)
「一さんとはなんでもないですよ。ただ、私の幼なじみにそっくりで、多分……それに甘えてたんだと思います」
「へぇ。幼なじみって未来の幼なじみ?」
「え!? なんで、吉田さん知ってるんですか!?」
「全部聞いた」
そこまで知っていたとは。久坂さんは信じてくれたけど、吉田さんは話したところで絶対信じそうになかったのに。
「それで?」
「それでその……」
「僕が助けに行ったのは迷惑だった?」
「……迷惑じゃないです。最初は諦めてました。吉田さんにとって私はうっとおしい存在だろうなって。嫌われてると思ってたから、長州の屋敷を出たし。でもやっぱり迎えに来てくれた時は嬉しかった。私は吉田さんのことが──」
「言わなくていい」
「どうして」
「君にはひねくれ者の方が似合ってる」
「なっ! じゃあもう一生言いませんから! 言ってくれって土下座されても言いませんから!」
人がせっかく勇気を出して伝えようとしたのに受け取る気がないなんてへこむ。本当にありえん、と吉田さんの腕にどすどす八つ当たりした。さぞや怒っているだろうと見上げると、そこには今まで見たことがないくらいに優しい笑みを浮かべてこちらを見る吉田さんがいた。
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