手放したもの。

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「こりゃ大変なことになった」 吉田さんのお父さんが帰ってくるなり、その場で腕を組んで考え込んでしまった。みんなして吉田さんがどうなったかお父さんに聞きに来たのに、しばらくの間話そうとしなかった。 「お前さん、どうしたんですか。栄太郎は投獄されたんでしょう? それ以上に困ることがありますか」 「いやぁ、それが目処が立たなくなった」 お父さんの話によると、吉田さんは二年三年で出てくると思っていたのに、それがいつになるのか、もしかしたら十年二十年はかかってしまうかもしれないということだった。 「なんでまた吉田さんはそんなことになってしまったんですか?」 「栄太郎が、今後獄から出たとしても藩士としての務めは果たしたくないと言い出したんだ」 「うそ……」 今まで聞いていた獄から出てくる目安は、あくまで吉田さんが藩士として再び役に立てる人材だからという前提があったからだ。 それが出来ないとなると、脱藩した罪というまま藩としてはずっと投獄せざるを得なくなる。 (昨日はそんなこと言ってなかったし、二年もかからないって言ってた……) 吉田さんは何を考えているんだろう。それとも昨晩言っていたことは嘘だというのか。 吉田さんのお父さんも、その考えが読めないらしい。藩主との謁見中に突然言い出したものだから、周りにいた人達みんなどよめき立って、特に福原の越後様は激昴していたらしい。婿養子にと考えていた若者が、藩士として務めを果たしたくないと言い出したのだから当たり前だ。 (どうなっちゃうんだろ) その後なかなか面会が叶わず、およそ三週間が経った。今日やっと許しが出たということで、吉田さんのお父さんと私が面会に行くことになった。 獄舎は萩の城下町から外れた場所にあり、門には必ず二人の見張りが立っていて、少しおどろおどろしい近寄り難い感じがした。吉田さんが入っている所は比較的手前の牢屋で、机に書物に硯に筆と揃っているめちゃくちゃ良い環境だった。もっと奥の方にまで行くと重罪人が入れられている牢屋になるとお父さんが教えてくれた。 「吉田さん大丈夫ですか?」 お母さんから渡すようにと持たされた差し入れを、太い木を格子状にして作られた檻の隙間から差し出した。 「何しに来たの」 「栄太郎それは無いだろう。こっちは心配して小春さんと会いに来たんじゃ」 (めっちゃ機嫌悪い) たとえ多少なりとも環境が良くても閉じ込められてればそりゃそうか。単刀直入に私が聞きたかったことを尋ねた。 「聞きましたよ、出獄しても藩士の務めは果たしたくないって言ったとか。なんでまたそんなこと言っちゃったんですか」 「狸親父が婿養子の件を諦めてくれるかと思ったんだよ」 「あっ──」 藩士の務めを果たす意思がない者を婿養子にしたところで、あの狸おや──じゃなくて越後様には利がないんだ。 ってことは、吉田さんが大人しく投獄されますと藩主に進言してても、越後様は婿養子にしたいと食い下がってきていたのが分かる。 「僕がここから出たところで、婿養子にする為にどんな手を使ってくるか分からないなら、期限を伸ばせばいいこと。僕がいつ出てくるか分からないなら、娘の婚姻を諦めるんじゃないかと思った」 確かにこれなら諦めそうと思いきや、吉田さんのお父さん曰く、権力者ならいつでも出獄の命令出せるんじゃね? とのことだった。そっちも確かに有り得る。むしろそっちの方が可能性が高い。 「吉田さん逃げ場ないですね。むしろ婿養子になってみては?」 「……」 「……すいません、今の冗談です」 恐ろしい。久しぶりの殺気を含んだ眼光には、若干縮み上がった。 「……それで、結局今は出獄の目処は本当に立っていないんですか?」 「どうだろうね」 吉田さんにもさっぱり分からないらしい。 「ていうか、本当に出る気あります?」 「……どうだろうね」 「まさか本当に藩士としてもう務めは果たしたくないとか──」 「栄太郎それは困る! 越後様の婿に出したくはないが藩士としてはちゃんとしてくれ!」 吉田さんとを隔てる木の格子にめり込みそうなくらいに身を乗り出して懇願しだしたお父さん。そして声がとても大きい。 「わしはな、あの狸親父のことは最初から好かん! 息子を手放すくらいだったら──」 「お父さん声大きいです!」 大音量での越後様の悪口オンパレード。どこに耳があるか分からないここでそれはまずいので、急いで口を塞いだ。吉田さんを見ると呆れ返ってるけど、とりあえずお父さんはどうしても息子は手放したくないことだけはよーく分かった。 「何事だ!」 ほら言わんこっちゃない。騒ぎを聞きつけた警備の人がこちらにやって来ようとしていたので、そそくさとお暇することした。 「やばいっ、じゃあ吉田さんまた今度」 「ねぇ、これ」 去り際にそう言って差し出されたのは、折りたたまれた紙切れ。はてなんだろうと開くと、今度の差し入れのリクエストが書かれていた。 〝だし巻き玉子〟 吉田さんの今後の身の上がすごく心配だというのに、悠長にリクエストしてくるところに、さすがの私もほんの僅かな殺意が湧いた。 *** 翌週、また吉田さんの元へ行った。もちろんリクエストされただし巻き玉子をお土産に持って。 「吉田さんちょっとやつれました?」 「さあ」 「ちゃんと食べてます?」 「食べてるよ」 まあ、やつれるのは無理ないだろう。逆にやつれない方がおかしいくらいだ。差し入れを貰った途端に蓋を開けて食べ始めた吉田さんは、無表情でだし巻き玉子を頬張っている。 これを作っていた時に食べないでと念を押したのに、吉田さんのお母さんとふさちゃんが盗み食いをして厠に引きこもる事態になった。『持っていかないで栄太郎が体を壊すから!』と二人にめちゃくちゃ引き止められたけど、現にその物体は吉田さんの口の中へどんどん吸い込まれていく。 「……美味しいですか?」 「美味しいよ」 「それはようござんした」 「何?」 「なんでもないです」 本人が美味しいと言っているのならそれでいい。お母さんが用意してくれたおにぎりも一緒に頬張っている。 「それよりさっきから気になってたんですけど、そこにある包みはなんですか?」 木の格子の近くに置いてある包みが気になった。やけに小綺麗な風呂敷に包まれてある。 「誰かの差し入れですか?」 「さあ」 「さあって……。私が来る前に誰か来たんですか?」 「来たけど誰か分からない。そんなの貰う気にならないから、持って帰ってよ」 「えー、知らない人なら私もいらないですよ」 そうは言いつつ私には拒否権がないので、その包みを手に取って一応中を開けてみた。お重の蓋を開けるとその立派な器に反して、いびつなだし巻き玉子が入っていた。 「これだし巻き玉子ですよ」 私が言うと、吉田さんはちらっと見はしたもののすぐに顔をぷいっと背けた。吉田さんは知らない人だと言ったけど、好物を知ってるあたり全く知らない人とは思えない。 結局食べる気配もなかったので私が持って帰ることにした。かといってこのだし巻き玉子の見た目じゃ食べる気にもならないし、吉田さん曰く知らない人から貰ったそうなので結局は処分することになりそうだ。 その帰り道のこと。吉田さんの家のお隣で飼っている柴犬がこちらに向かってえらい吠えだした。いつもは吠えられることも無く大人しくジーッと見られるだけだったのに、今日は違う様子だったので気になって近寄ってみた。 「豆太どうしたの?」 ふさちゃんがよく可愛がっていたので、私も豆太と顔見知りになっていた。 「これが気になるの?」 私の持っているものが気になるみたいで、吠えながら前足をあげてジャンプしてくる。どうやら吉田さんのとこから持ち帰ったこの包みが気になるらしい。どうせ処分するし食べなければ持ち帰ればいいしと、豆太にそのだし巻き玉子をあげてみた。 「あれ? 食べないね」 豆太は吠えるばかりだ。 (何かよからぬものでも入ってるのかな?) あまりにも吠えるのでそうなのかなと思い始めた時、どこかから猫がもの凄いスピードでだし巻き玉子を盗っていった。 「あ! ちょっと待って!」 取り返す暇もなく猫の姿は見えなくなっていた。 (なんか嫌な予感がする) その嫌な予感はすぐに分かった。 夕餉の時、ふさちゃんが神社の裏で猫がぐったりしているのを見たと話し出した。まさかとは思いつつ話を聞いてると、その猫は意識が朦朧としていて、そのうち吐いてしまったという。吐いたものを見たら、だし巻き玉子らしきものがあった。 「まさか、姉上のだし巻き玉子じゃないよね?」 ふさちゃんは今朝方の悲劇を思い出して私に疑いの目を向けてくる。 「違うよ。私が作った分は全部吉田さんのところに送り込んだから、それは無いと思う。けど……」 「けど?」 「……多分その猫は私のせいで具合悪くなったと思う」 「ほらやっぱり!」 「違うの! そのだし巻き玉子は吉田さんの差し入れだったの! いらないから持って帰れって言われて、帰る途中に豆太が吠えたからあげようと思って、横から猫が泥棒してったの」 そこでハッと気づいた。吉田さんのお母さんも同じようでそれに気づいた。 「それって、もともとは栄太郎への差し入れであったってこと? じゃあ神社裏の猫がぐったりしていたのは毒が入っていたから?」 (毒入り!?) えらいことになった。結果として吉田さんは毒を盛られかけたということになる。皆して慌てだした。 「小春さん! その差し入れの残りはどうしたの!?」 「なんか嫌な予感したので、誰かの口に入ったらいけないと思って竈に入れて燃やしました!」 「器は!?」 「あ、残ってます!」 小綺麗な風呂敷に包んで置いてあったお重を持ってきた。これだけじゃ誰が差し入れしたかは分からない。さっき綺麗に洗ってしまったから毒が残っていることはないので、何の毒かもきっと分からないだろう。 その時ふさちゃんが何か気づいたようで、それはおかしいと話し出した。 「母上、もし毒だったら猫ちゃんは死んでたはずだよ。玉子を吐き出した後は、少し具合悪そうだったけど普通だった」 じゃあ原因はなんなのか振り出しに戻ってしまった。毒だったら猫は死んでた。死んでないということは毒じゃない。下剤か何か? それとも私と同じまずいだし巻き玉子だったから? そもそも弱い毒だったら死なないことも有り得る。 (あー、ますます分からなくなってしまった)
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