手放したもの。

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とりあえず吉田さんには何かあってからでは遅いので、こんなことがあったということを報告しようとなった。本人が気づいて何かの予防策になればよいと。 (だけどさ、こんな牢獄に通い慣れてる女子高生ってどうなんだろ……) そんなことを思いつつ、無愛想な門番に挨拶をして吉田さんの元へ向かった。 (あれ? 誰かいる?) 吉田さんの牢辺りで、若い女の人と中年の女の人がいた。若い女の人は吉田さんと目線を合わせるためにしゃがみこんでいる。あれ場所間違えたっけ? と一瞬不安になって辺りを確認して、ここだよなともう一度その場所を向いた。 少しずつ近づいていくと、聞こえてくる話し声が何やら親しげだ。厳密に言うと若い女の人が一方的に話しているだけのように見える。ある程度その距離が近くなった時に、中年の女性が私の存在に気づいて若い女の人に声をかけた。 「りつ様」 (りつ様? この人がふさちゃんが言ってたりつ様?) 「ああ、これは失礼しました。初めまして、りつと申します。あなたは栄太郎さんの小姓の方ですね」 「はい……」 どんな人かなと思っていたら礼儀は正しい人だ。外見もそんなに悪くない。むしろ可愛い部類に入る人だ。ただ、吉田さんのことを名前で呼んでいることに対して少しモヤっとした。 「どんな方かと思ったら、素朴で可愛らしい方ですね」 「それはどうも……」 (平凡て言いたいんだろうな) 無自覚で言っているのか、わざとなのかはさておき、そのお嬢さんを押しのいて、吉田さんに手土産を差し出した。こっちはとても大事な話がある。 「吉田さん大事な話があるんですけど」 「遅いよ」 「すいません」 めちゃくちゃ不機嫌だ。不機嫌なのをお構い無しに居座れるとは、こちらのお嬢様はとても神経が図太いらしい。それとも気づいてないだけなのかまだ隣にいる。 「あの小春さん」 「名前なんで知ってるんですか」 「高杉さんに聞きました」 (余計なことを……) 「栄太郎さんが脱藩されたのは、あなたの為だと聞きました。こんな小姓の方にまで気を配ることが出来るなんて栄太郎さんはとても素晴らしい方です。それで、小春さんはその罪滅ぼしのためにこうして来ているのですか?」 「……」 色々と突っ込みたい。いやその前に手が出てしまいそう。ああ、なんて私は懐が小さいんだろうかと嘆きたくなってくる。私が悪いんだろうか。いや、だけど、やっぱりイラッとしてしまう。 「小春さん?」 「ええそうです。罪滅ぼしの為にこうして差し入れをしているんです」 よくよく考えてみれば、言われていることはもっともで間違ってはいない。ただ言い方があれなだけで。 「ならばもうここには来られない方がよろしいと思います」 「何故ですか?」 「元を辿ればあなたのせいで栄太郎さんは投獄されてしまったのです。こんな辛い目に会っている中、私だったら二度と顔向け出来ないかと……」 (いや、それはだから──) 元はと言えばあなたのお父上が無茶なことを言い出したからですよ、とは面と向かっては言えない。婿養子の件が無ければ吉田さんは恩赦になるはずだったのだから。 「お気遣いありがとうございます。ですが吉田さんはそんなこと微塵も思わないようなので、あまり口出しされても困ります」 きつく言いすぎたかなと少し窺うと、さして気にも留めないような素振りで、逆に後ろにいた中年のお付の人の方が眉尻を上げている。そんなピリッとした空気の中、吉田さんを見れば自分は無関係ですと言わんばかりにだし巻き玉子をパクパク食べている。 「あのー、吉田さん。話があるって言いましたよね」 「早く言ってよ」 「だからあの、こないだ貰って帰ったあのだし巻き玉子ありましたよね? 近所の野良猫がうっかり食べちゃったんです。そしたらぐったりしちゃったらしくて、これってあの中に何か毒でも入ってたってことですよね? そのことを話したくて」 「あれ、気づいてなかったの?」 「何がですか」 「あれ媚薬入りだよ」 「は!?」 (いやいやいや、待って。吉田さんは知ってたの!?) 驚く私の声に被せるように聞こえたのは、りつ様の小さな悲鳴だった。顔を真っ赤にさせて何やら口をもごもごしている。 「あ、あのっ、私これでお暇させていただきます」 「……」 (あーそういうこと) 件のだし巻き玉子の差出人は、お付の人と早足で去っていくあの人だということだ。なんとも分かりやすくて助かった。 そして、全て知ってて持ち帰らせたこの人もこの人だ。 「何。そんなに睨まないでよ」 「分かってて私に持って帰らせたんですか」 「だってここにあったって腐らせるだけでしょ」 「こっちは毒が盛られたとばかり思って、お母さんと心配していたんですよ!」 「その手のことは今まで何回かあったし、何もなかったんだから良いでしょ」 「あの人の差し入れだってことも知ってたんですよね?」 「ああ、それは顔は覚えてなかったから、さっき来て思い出した」 (本当にこの人は……) 今まで何回かあったにせよ、女嫌いだからといって差出人の顔は覚えてて欲しいし、第一に媚薬が入っていることを分かってて、何も知らない私に処理を任せるのはどうかしてる。 「もし私が食べてたらどうするつもりだったんですか」 「君なら食べないよ」 「なんで言い切れるんですか」 「自分が作ってきたものと同じ差し入れを、君が食べると思う? 食べないね。誰が作ってきたのかも分からないし、捨てると思った」 「確かに捨てたというか、燃やしましたけど、あの時豆太が気づかなかったら──」 私が食べないにしても、他の誰かの口に入っていたかもしれない。 「犬ですら気づくのに、気づかないなんてそれは余程の馬鹿だね」 「馬鹿で悪かったですね!」 (確かに変な匂いはしてたけれども) 本当に心配して損した気分だ。本当に吉田さんの身の危険を感じていたし、何かあっても牢屋に入れられているから逃げ場もない。結果としては本人が気づいてたならそれはそれで良かったのかもしれないけど、もし本当に毒であったならと考えると、全く有り得ない話じゃない。 「吉田さんだから大丈夫だと思いますけど、本当に気をつけてくださいね」 「分かってる」 来週また来ます、とその日はそれで吉田さんと別れた。 *** 「お母さん行ってきますね」 「よろしくね」 先日りつ様と思わぬ邂逅をしてから一週間。今日は吉田さんとの面会の日。お母さんだって会いたいだろうに、私が行った方が喜ぶからと、差し入れを持たせてくれて送り出されることが当たり前になってきた。 いつも通り獄舎の無愛想な門番の方達に挨拶をして通ろうとした時、何故か今日は引き止められた。 「おい待て。吉田殿の面会か?」 「そうですけど何か?」 「面会は禁止だ。帰れ」 「え! どういうことですか」 「とりあえず禁止だ。一昨日取り決められたこと故、通せぬものは通せぬ」 「ちょっと!」 門番に押し返されてしまった。面会は出来ずとも差し入れを渡すことくらいできるはずだ。 「差し入れはいいですよね?」 無愛想な門番は少し考えてから、渋々受け取ってくれた。まさか面会禁止になっているとは思わなかった。吉田さんのお父さんも何も言ってなかったということは知らなかったのだと思う。 とりあえずどんな理由で面会が出来なくなったのかはさておき、会えないものは会えないのでお家に戻るしかない。 (だけどやっぱり会えないかな) どこか監視の目をすり抜けられそうなところはないかキョロキョロ辺りを探していると、さっきの門番がりつ様と話しているのを見つけた。どうせ私と同じで追い返されるのだろうと思いきや、りつ様はお付の人と獄舎の方へと入っていった。 「なんで……」 やっぱり後ろ盾が強いと、こういう時には優遇されるらしい。後ろ盾も何も無い私は、泣く泣く家に帰ることにした。
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