代償。

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代償。

きっと罰が当たったんだと思う。 私を新選組から連れ出すために脱藩までした吉田さん。投獄されると分かっていて故郷に帰ってきたこと。それはこの時代に身寄りのない私のために、せめて自分の両親の近くにいさせてあげようとしてくれたからだった。何もかもが私のために動いてくれた。 だから神様は私に罰を与えたんだと思う。 吉田さんの意識が戻ったという知らせを聞いてものすごく安堵した。あとは順調に回復して放免されるのを待つだけだと思った矢先、知らせを聞いてきたお父さんの顔が曇っていた。 「記憶無いんだそうじゃ」 (記憶がない?) 「毒の影響なのか、ここ最近の記憶が失われていて、覚えている最後の記憶が一年前に京に向かったのがそれだと言っていた」 記憶がないと聞いて真っ先に確認したかったこと。 「私のこと、覚えてますか?」 「……いいや」 (覚えてない?) 「もしかしたら会えば思い出しますよね? 一時的なものかもしれないし」 「記憶は一時的なものかもしれんけど、今は仮にも会わない方がいいかもしれん」 「どうして?」 「大層機嫌が悪くて荒れとる。わしも様子を見てきたが、ありゃ松陰先生が亡くなられた直後と同じ状態じゃった」 記憶が一年前までで止まっているのだとしたら、最初に出逢った頃のように女嫌い全開の時と同じ感じだ。 最近の記憶がないということは、投獄されたこともなんで萩に戻ってきたのかも全部覚えてないってことなんだ……。 「その、大変言い難いんだが……」 お父さんはまだ何か私に伝えたいことがあるみたいだった。 「高杉くんがこちらに戻ってきていてな、ちょうど話を聞きつけて栄太郎の様子を見に来たんだ」 「高杉さんが?」 「そんで高杉くんが言うには、ちょうど良い機会なんだと。栄太郎が脱藩して藩士としての役目を放棄した要因は小春さんにあると。だけどその記憶が失われているのなら、このまま記憶を戻させることはせずに藩士としてもう一度勤めさせたらどうかと」 (私のことを忘れたまんまにしろってこと?) 「それはどうなんですかね……」 「わしもあまり乗り気はしない。栄太郎が京から小春さんを伴って帰ってきた時は、人はこんなにも変わるものかと驚いたよ。そうさせたのは小春さんだ。その存在を忘れたまんまにはさせられないよ。ただ──」 「ただ?」 「記憶が戻らなければ、早くに恩赦になるだろうとは言われたよ」 簡単に言えば私の存在がなかったことになれば、吉田さんは放免になる。 だけど私の存在を思い出させるようなことがあれば、また藩士としての務めを放棄するかもしれない。 (一体どうしたらいいの……) こないだから私の頭では追いつけないほどの出来事が次々に起こっている。 (こんな時、一さんがいてくれたら) ふと、なぜかその人の顔が頭をよぎった。この幕末で数少ない頼れる人。今は遠くにいて気軽に会えることは出来ない。幼なじみにそっくりだったあの人。だけどきっと、今会ったら顔をまともに見られない。一さんとの最後の別れ方がそうさせていた。 その翌日のことだった。高杉さんがわざわざ私に会いに来たのは。久しぶりの再会だったはずなのに、まるで先週会ったじゃないかというような素振りで話しかけてきたことに若干イラッとする。 「久しぶりだな」 「そーですねー」 「あのなぁ、もっと愛想よくしろよな」 「誰のせいだと思ってるんですか」 「栄太郎だろ?」 「いや、そうですけど! 高杉さんのせいでもあるんですからね!」 「俺のせいか?」 「ええ(禿げろ禿げろ)」 「なんか言ったか?」 「いいえ(禿げろ)」 「何か念じてるよな?」 「……何も」 「はぁ。お前、寝てねぇだろ」 「……はい」 「ちょっと出よう。大事な話がある」 そう言って場所を変えようとするあたり、ここでは話しにくいことなのだろう。大人しくいうことを聞くことにした。お母さんには少し出てくると言付けて、家から出ていこうとした時、後ろからふさちゃんが駆けてきた。 「たかすぎー! 姉上に何かしたら許さないからなー! このスケコマシー!」 「あんの妹はっ!」 叫ぶふさちゃんに、高杉さんは殴りかかりそうになるところを、私は必死に抑えた。まあ高杉さんも半分冗談なのだろうか、力は弱い。それでもふさちゃんはお構いなしに近所に丸聞こえの大声で叫ぶ。 「高杉の悪行は末代まで伝えてやるからなー!」 「あいつ……!」 「あんなに恨まれるなんて、高杉さん何したんですか」 「なんもしてねぇよ! 栄太郎があることないこと吹き込むんだよ!」 (おお、ご愁傷さま) 心の中で合掌。まあ吹き込むっていったってそれなりのことをしないとそうはならないと思うのだけど。火のないところに煙は立たないと言いますか。 ふさちゃんの声が聞こえなくなってくるまで歩き、近所の神社にやってきた。賽銭箱が置いてある奥の、社の階段に二人して座った。 「とりあえずまあ、悪かったよ」 「何がですか?」 「その、お前のこと何も知らねぇで輪違屋に預けちまったことだよ」 「あー」 そんなことだいぶ前のように感じられる。あの時は自分で決めて長州の屋敷から出ていったのだから高杉さんを今さら責めるつもりはない。 「そんなこと気にしてないですよ、謝らないでください」 「栄太郎の親御はあのこと知ってるのか?」 「あのこと?」 「お前が未来からきた人間だってこと」 「あぁ、もちろん知らないですよ」 「そうか……」 (なんだなんだ) この湿気た雰囲気は。この憐れみを含んだオーラは。高杉さんにしてはいつになく真面目な感じだ。 「大変だったな。栄太郎が投獄されてから心細かったろ。お前の事情を知るやつは周りにいなかったろうし」 「そんなことないですよ。吉田家の皆さんは私を家族のよう接してくれたから。それに私はそんなヤワじゃないですよ。こっちの時代に来てからいきなり吉田さんの小姓やれって言われてこき使われてたんですからね」 そんなのに比べれば、まだ全然いい。吉田さんにこき使われたおかげで、大抵のことには我慢できるようになった。 「昨日親父さんから聞いたとは思うが」 「吉田さんの記憶喪失のことですよね? 私にはよく分かりません。どうすればいいのか、何が最善なのか……」 「ちょっと意外だな」 「なんで」 「お前のことだから『絶対記憶を取り戻してやるんだー!』って息巻いてるのかと思ったよ」 「本音を言えばそうだと思います。だけど吉田さんのことを考えたらそんな単純じゃないなって」 「……大人になったな」 「それ馬鹿にしてますよね?」 なんだか今日の高杉さんは調子が狂う。おうのさんと喧嘩でもしたか? 振られていればいいのにと思いつつ、聞きたかったことを尋ねた。 「高杉さんこそ、私が吉田さんと一緒にいるの気に食わないんじゃないんですか? 昨日お父さんから聞きましたよ」 「最初はそうだったけどよ、昨日のあいつ見ちまったらそうとも思えなくなってきてよ……」 「どういうことですか?」 「お前、栄太郎と出会ったばかりの頃覚えてるか?」 「覚えてますよ。今にも人のこと斬りかかりそうなくらい荒れてたっていうか、とにかく近寄るなって雰囲気が凄かったです」 「あれの比じゃねぇって昨日思い知ったよ」 『比じゃない?』 (あの時より酷いということ?) 高杉さんがこんなにも早く心変わりするということは吉田さんの状態は相当なのか。 「栄太郎の親父さんには昨日ああ言っちまったが、俺はそれで考えが変わった。あいつにはお前が必要なんじゃないかってな。お前といた時なんてまるで心に血が通ってるみてぇに思えた。だから栄太郎の記憶を取り戻すには協力したいんだが……」 「高杉さんはそうでも、福原の越後様はそうは思ってないですよね? 記憶を取り戻さなければいいと思ってる。あわよくば婿養子とか」 「それなんだよな。まあ福原様の娘が栄太郎に惚れてるだけなんだが、やっぱり娘には甘いというか」 「それに私も、吉田さんに毒を盛ったって容疑かけられてるし」 全ては越後様の思惑通りに進もうとしている。気持ち悪いくらいにぴったりと。 「その容疑の件だが、俺の方からも擁護しておいたぞ。お前のだし巻き玉子は壊滅的だったが、命の危機に追いやるほどじゃねぇって。それにお前には何の利も無いだろ。そのうち沙汰無しの知らせが来ると思うぞ」 「高杉さんってやる時はやるんですね!」 「馬鹿にするなよ。俺はやれば出来るんだよ」 「すごーい」 「棒読みやめろ」 だけど少し嬉しい。高杉さんが味方をしてくれたのが心強い。久坂さんだったらもっとだったけど。それは口には出すまい。 「ありがとうございます。色々とよくしてくれて」 「いいんだよ、今までの借りだ。それよか栄太郎には会いたくないか?」 「会えるんですか?」 「口利きだったら多少は出来るぞ」 「……」 「やめとくか?」 「……いや、迷ってます」 吉田さんの記憶が戻って欲しい。だけど早くに恩赦になって欲しい。 「吉田さんがもし、記憶を取り戻して藩士としての役目を果たしますと言ったら、すぐに恩赦になりますか?」 「それはなるだろうが、あいつは頑固だぞ。そう簡単に考えを改めるとは思えない。そもそもなんで藩に戻りたくねぇんだよ。それ知らないのか?」 「私が聞いたのは、越後様の婿養子になりたくないから、投獄されていればそのうち諦めるだろうってことで」 記憶が取り戻せたとしても、すぐには恩赦にならないだろう。吉田さんはこうと決めたらなかなか覆そうとしない。藩に戻りたくない理由ははっきりとは分からないけど、婿養子の件だけではない気がする。これは勘だけど。 「とりあえず会ってみるか? お前なら記憶なくてもまあ何とかしてくれるんじゃねぇかって俺の淡い期待もあるんだけど。会ってみねぇことには進まないだろ」 「……はい」 やっぱり素直には頷けない。会ってみて、すぐに記憶を取り戻してくれると私は期待しているけど、記憶を戻したら恩赦になる道すじが遠くなってしまうから。そこが不安だった。 だったはずなのに、その不安はいとも簡単に無くなった。
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