代償。

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その人はさっき会った時と変わらず悠然と微笑をたたえている。隙を見せないところも。やはり私の見間違いじゃなかった。 「長次さん、と言った方がいいですか? 古高さん」 「久しぶりだね、片桐小春」 「何故あそこに?」 「聞くことはそれだけかい? もっと他に聞きたいことがあるんじゃないの?」 聞きたいことは山ほどある。ただ、この人のペースに飲み込まれそうで次の言葉を躊躇(ためら)った。 「そんなに身構えなくても何もしないよ」 その言葉は、今までのどの言葉よりも信じられない。たとえ心の中が見透かされていたとしても、どうしてもその人に近づくことが出来なかった。引いたばかりの冷や汗が、またぶわっと噴出する。 古高さんが一歩一歩にじり寄ってくる度に、私の足はそれと同じだけ後ずさりしていく。 「おいおいおい、そんな怖がらせるようなことしたっけ?」 「しましたよ!!」 どうしてそんな呑気に言えるのか不思議なくらいだ。私の頭の中では、さっき別れた高杉さんのもとへ駆け出そうとする算段をしているのに。 「ああ、そうだったな。あの時は悪かったよ、あれは必要に駆られて仕方がなかったんだ」 何を言ってるのか全然分からなかったけど、悪気がないという風に言っていることだけは分かる。だけど、この世でそれが一番(たち)が悪い。 「知りたいだろ? どうして俺があんなことしたか」 「知りたいですけど……」 「じゃあこっちに」 「嫌です!!」 誰がわざわざ、自分を刺した人間のもとへ近づこうと思うのか。 「分かったよ。だけどここでこのまま話すには無理がある。人目もはばかられるし……」 そう言って、持っていた荷物─薬が入っている木箱─を少し離れたところに置き、おもむろに服を脱ぎ始めた。 「何してるんですか!?」 「何って、凶器がないかどうか見せてるんだよ。ほら無いだろ?」 「いいです! そこまでしなくていいですから!」 『凶器』じゃなくて『狂気』の方を持っているんじゃないだろうか。下半身の部分まで脱ぎそうになる手前で慌てて止めた。そんな私の様子に満足したような顔を見せた古高さん。やっと落ち着いて話ができると思ったのか、手招きしてくるので、大人しく言うことを聞くことにして後について行くと社の中へと入って行った。 人が近寄ることはないだろう社の中に入ると、外から見るのとは違い、中はとても狭かった。 「あの、何故ですか?」 「何故とはどのことを言っている?」 「ああ、えっと……」 「どこから話そうか。うーん、迷うなぁ」 「じゃあ島原でのことから聞かせてください」 「あの晩のことか」 〝あの晩〟とは私が島原で吉田さんを探していた時に、人混みの中で突然刺された時のことだ。その私を刺した人物は言わずもがな目の前のこの人だった。 人混みの中で笠を被っていたので見えづらかったのもあるけど、ちらっと見えた顔。そしてその後に私の元へ届けられた教科書のことを考えると、どうしても古高さんにたどり着いてしまう。その時点ではまだ可能性の域だったのに、さっき私が態度でカマをかけたら、思いのほかあっさり認めた。 「前に久坂玄瑞と同席した際に、見せた懐中時計があるだろ? これなんだが」 そう言って、前に私に見せてくれたものと同じ懐中時計が出てきた。 「これは俺の。そんでもう一つこれが、片桐小春あんたのだ」 「私の?」 古高さんのものとは瓜二つの、だけど色味が少しだけ違う懐中時計がもう一つ出てきた。私のだと言い張るものは、少しだけピンクゴールドになっている。 「これが私のだという証拠は?」 「よく見てから言ってくれ」 古高さんは私にその懐中時計を手渡した。一見すると古高さんのとなんら変わりないのは確かだけど、裏返すとそこに文字が刻まれていた。 〝No.4434269 片桐小春〟 「これって!?」 「そのまんまの通りだよ。それがあんたのタイムマシン装置」 「え? え!?」 (私のタイムマシン装置?) だけど以前会った時には、簪がきっかけかもしれないと古高さんが言ったのにどういうことだろうか。それともあれは全部嘘? もし懐中時計が本当だとしたら未来に帰れるということ? でも── 「おかしいです! それならなんで古高さんが持っているんですか!?」 古高さんが自分の懐中時計を持っているのは不思議じゃない。ならどうして私の懐中時計まで持っているのか。 「それがねぇ……。まあ話すと長くなる」 「もったいぶらずに全部話して下さい!」 さっきの、私を刺した犯人が古高さんだということも吹っ飛ぶくらいの重要案件だ。 「簡単に言うとだ、俺はこの懐中時計を管理している人間。ランダムにこちらで選んだ人をタイムスリップさせている」 何もかもがちんぷんかんぷんだ。 何回も噛み砕いて説明してくれたところによると、人にはそれぞれこの懐中時計が割り当てられていて、人生の節目や死に際にランダムで人を選びタイムスリップさせているらしい。その選ぶところからタイムスリップさせるまでが古高さんの仕事? らしい。 (よく分からない) 「あんたの乏しい頭じゃ理解はムリだな」 その言い方にむっとしつつも、乏しい頭でも分かることはあった。私が現代で通り魔に襲われた時に、古高さんに選ばれてタイムスリップすることになったということだ。 「人間……ですよね?」 「人間だよ。正真正銘な。寿命もちゃんとある」 「懐中時計ってどこに保管されてるんですか? 普段古高さんはどこに存在しているんですか?」 「だからそれを説明するとややこしくなるから、省いて簡単に噛み砕いて説明してやっただろ」 「いや、私の頭じゃ理解できなくても、口に出して説明くらいは出来ますよね?」 「あんたもしつこいな。俺にも守秘義務があるんだよ」 「そうですか。でも、なんだか信じられないなぁ〜」 ジト目で古高さんを見た。この人は嘘を言っているのかもしれない。そうだ、島原で私を刺した犯人じゃないか。何が信じられるものか。 「その顔は信じたって顔じゃないな」 「普通に信じられません。それと今話したことが、島原で私を刺したこととなんの関係があるんですか?」 私の問いに、古高さんは不敵に笑った。この余裕な態度と、隙のない感じがどうしても私は苦手だ。 「百聞は一見にしかず、だ。実際に見た方が早いだろ?」 「え?」 「確か吉田稔麿は今、記憶がないんだったよな?」 「吉田稔麿?」 「吉田栄太郎のことだ。あいつはこの後に改名するんだよ。あんたの記憶ないんだろ?」 「そうですけど……」 「じゃあ記憶を取り戻す手助けしてやるよ。過去に行って、記憶を一から作り出す」 「そんなことできるんですか!?」 今の私には藁にもすがる提案だ。本当にそんなことが出来たら凄いと思う。 「ただし──」 「なんですか?」 「タダでやるとは言ってない。行って帰ってきたら、俺のお遣いをしてもらう」 「お遣いって何を?」 「それはまだ言えない」 まだ言えないということは、私に事前に聞かせると引き受けないだろうと見越してのことだ。だとしたら、この提案を引き受けるのは少し危険かもしれない。 「少し時間を──」 「ダメだ」 「戻ってきたら島原でのことも、私がタイムスリップする前のことも全部話してくれますか? 本当のことを全部」 「話そうと思ってたことだから、それは心配するな」 「……分かりました。行きましょう」 半ば古高さんに流された感じで承諾してしまった。そもそも、懐中時計でタイムスリップ出来るかどうかも怪しいと思っていたから、本当かどうかも確認したかったのはある。 「あんたは馬鹿だな。自分の懐中時計があるんだから、未来に戻りたいと普通は最初思うだろうに、何故吉田栄太郎を取る?」 「あなたには関係ないですよ」 「あのなぁ、あんたをタイムスリップさせたのは俺だぞ? 関係なくはない」 「あーはい、そうですか」 「昔はこうじゃなかったのに……」 「何か言いました?」 「いいや」 古高さんは仕方なくといった様子で懐中時計を取り出した。私のものではなく、古高さんの懐中時計だ。 「私の懐中時計は使わないんですか?」 「あれはそう頻繁に使えるものじゃない。だいたいの懐中時計はそうだ。俺が持っているのは、代価を払わずに時間を行き来できる」 「それじゃ私の懐中時計は代価が必要なんですか?」 「今はその話は後だ。俺は代価を払わずとも使用出来るが、俺の懐中時計で俺以外の人物がタイムスリップするとなったら代価はいる」 「ちょっと待って! そんな話聞いてませんけど。古高さんの懐中時計を使ってタイムスリップするんですよね? じゃあ私だけ代価払うんですか?」 「そうだけど?」 「だ、代価って何を払うんですか?」 「大したものじゃ無い。体の一部だ」 「大したことあるじゃないですか! 体の一部なんてそんなの無理ですよ!」 「だから、髪の毛とか爪とかでいいんだよ。あんたの場合そうだな、髪の毛だな。ちょっとこっち来い、切ってやる」 唐突に人の髪の毛を切りにかかろうとするあたり、やはりぶっ飛んでいる。
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