蝉の抜け殻。

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蝉の抜け殻。

目の前に立った時、その少年が顔を上げた。 眉目秀麗なその顔は幼い頃からそのままなのだということが、近くに来てよく分かる。見たところ歳は七つか八つに見えた。 「だれ?」 「あ、えーと……」 どういう風に接近しようか考える前に体が動いてしまったので何も考えてなかった。言葉に詰まった様子を見て、呆れたように吉田少年が話し出す。 「あんたみたいな人たくさん近寄ってくるんだよね。顔がきれいだとか、可愛いだとか。不愉快だ」 「私はそうじゃなくて」 「だいたいの人はそう言う」 「だからそういうつもりで近寄ったわけじゃなくて」 「でも、あんたは他の人よりはまだいい。見ていてもあまり不愉快じゃない」 「それはどうも」 「こんなへちゃむくれな顔、どう見たって女には見えない。短い髪の毛も変だし」 「……」 毒舌は小さい時から健在だったらしい。姿は小さくても吉田さんそのまんまだ。 「吉田さん……じゃなくて君はここで書物を読んでいていいの?」 「どういう意味?」 「他の子みたいに遊んだりしないの?」 「僕は遊ぶことよりも書物を読んでいたい。それだけ。あんなの子供がやる遊びだよ」 (あなたも子供ですけど) 「早くどっか行ってよ。じゃま」 吉田少年に追い払われてしまった。読みたいと言っていた書物を邪魔するのは気が引けるので、少し離れたところから様子を見ていると、やはり吉田さんは遊んでいる子供たちの方へチラチラと視線を窺わせている。 妙に大人びているのかと思いきや、中身はやっぱり子どもなところが微笑ましくて心が和む。 「ねぇねぇそこのお姉ちゃん」 「どうしたの?」 境内で遊んでいた子供の一人がこちらに寄ってきて私に尋ねてきた。 「縄を回すのをやって欲しいんだけど」 「いいよ」 「やった!」 大縄跳びで遊んでいたら、縄を回していた子供が疲れてしまったので代わりの人を探していたらしい。 「ついでにあそこの男の子も入れてもらってもいい?」 「え? 栄太郎のこと?」 「うん」 「あいつはいつも本ばっかり読んで、絶対俺たちと遊ばないんだ。誘っても来ないと思うよ」 そんなことは分かりきっていたけど、ダメ元で誘ってみることにした。一緒に遊びたいような視線を向けてたし。 頼みにきた男の子と話し終えた後、吉田さんの元へ向かい、目線を合わせるように(かが)んで話しかけた。 「一緒に縄跳びで遊ばない?」 「いい」 「どうして?」 「しつこい」 「本当はあの子たちと一緒に遊びたいんだよね?」 「そんなんじゃない」 これは誘うのはやっぱり無理かもしれないと諦めかけた時、吉田さんが座っていたそばで蝉の抜け殻が四つほど置いてあるのが見えた。子供の頃、おばあちゃん家で蝉の抜け殻を集めて木の幹に並べて遊んでいたことを思い出した。 「蝉の抜け殻を集めてるの?」 「関係ないでしょ」 「私も子供の頃集めてたんだよ。こう見えても見つけるのが得意でね、もし一緒に遊ぶって言うなら十個は見つけてきてあげるよ!」 両手で十をして見せると、一瞬だけ吉田少年の目が輝いてすぐに戻る。 「僕はそんなのには釣られない」 やはり小さくても手強い。そう簡単にはなびかないらしい。何かいい策はないかと考えを巡らせてると、ふと思ったことを口に出してみる。 「じゃあ一緒に探す?」 「……うん」 (なんだ、一緒に探す人が欲しかったのか) 誘い出すのに成功すると、遊んでいた子供たちは少しびっくりしたみたいだった。吉田さんはというと、仏頂面のまま子供たちに混じり縄を跳んでいて、私はそれがなんだか嬉しくて精いっぱい縄を回した。 「お姉ちゃんまた縄を回してね!」 「変な髪の毛だけどいい奴!」 「特にきれいでもないけどいい奴!」 口々にお礼を言ってくる中、悪口が混ざった男の子たちに大人げなく軽いげんこつを落としてやった。その後子供たちがそれぞれ解散すると、吉田さんがこちらにやって来た。 「約束。忘れてないよね?」 「忘れてないよ」 「大人は平気で嘘をつくから」 「えっと……栄太郎くんの周りには嘘をつく人がいっぱいいるの?」 「いる」 あれ? と思ってしまった。吉田さんの両親に会って人を知っているだけに余計にその言葉に違和感を感じる。 「知らない女の人が、本当はないのに探しものを手伝ってくれだとか、同い年の子供がいるから家においでって平気で嘘を言ってくる」 「げっ……」 それはもはや警察案件なのでは。完全に誘拐未遂にあっているのが気の毒過ぎるというか、きっと女嫌いはこれが原因な気がする。 「だけどあんたは嘘をついてない」 「どうして分かるの?」 「へちゃむくれだから」 「理由になってないよ」 「一緒に探してくれるんでしょ?」 「もちろん」 今まで表情を崩さなかった顔が、満面の笑みに変わった。子供の吉田さんの笑顔だというのに、初めて見たその顔にドキッとしてしまった。 「名前なんていうの?」 「小春だよ」 「じゃあ小春、あっちで十個探してきて。僕はこっちを見てくる」 そう言ってから走って行ってしまった。その姿をしばらく目で追っていると、時折振り返ってはこちらを見ている。どうやら本当に探すのか疑っているらしい。疑り深い彼に報いるため急いで探しにかかった。 この時代は自然が豊かだからなのか、そこまで手間がかからずに蝉の抜け殻が集まってしまった。子供の頃に比べると目線が高いだけに見つけやすいのかもしれない。 吉田さんはどこにいるか見渡すと、少し離れたところで、木の幹の高いところにある蝉の抜け殻を取ろうと、つま先立ちで手を伸ばしていた。 「取ってあげようか?」 「自分でとる」 「じゃあ抱っこする?」 「だ、抱っこなんかいい!」 「でも自分で取るんでしょ?」 渋々といった様子で了承して、素直に抱っこされた。吉田さんを抱っこするというのもなんだか変な感じがする。 「取れた?」 「とれた」 「何か言うことは?」 「別に」 「ありがとうは?」 「……ありがとう」 「よく言えました」 柔らかな髪をわしゃわしゃと撫でてあげた。なんだか小さな弟が出来たような気分だ。 「不愉快だ」 「何か言った?」 「不愉快」 「ごめんよく聞こえない」 「じゃあこう」 「痛っ!」 思いっきりすねを蹴られた。容赦がないのでめちゃくちゃ痛い。涙目になりながら吉田さんを睨むと、顔をぷいっと背けた。けれど口の端がわずかに上がっているのが見えて、痛いのを忘れて笑ってしまった。 蝉の抜け殻に夢中で、気づけば日が傾き始めていた。もうそろそろ家に帰る時刻だ。吉田さんにも帰宅を促すと、先程とは打って変わり固く口を閉ざしてしまった。 「もしかして帰りたくない?」 こくりと頷いた。だけど子供を帰さないわけにはいかない。 「お家まで一緒に行くけどそれでもダメかな?」 また頷いた。何か家に帰ると嫌なことがあるのかと考え始めた時、ぽつりと話し出す。 「最近妹が生まれたから、母上は忙しい。だから煩わせたくない」 「だけど、帰らないとお母さん心配すると思うよ」 「……」 お母さんのことを心配しているけど、本当は自分に目を向けて欲しいと思っているんじゃないかと、そんな風に思えた。そういえば、お母さんはふさちゃんが生まれたばかりの時は吉田さんのことを気にかけてあげられなかったと言っていたのを思い出した。 「ねぇ、片桐小春」 「え? あ、古高さん。いたんですね」 「俺は最初からいるよ。話しているところ悪いが、日も暮れてきた頃だし今日の家を見つけてきたから行くよ」 「だけど、吉田さんが──」 「放っておけばいい」 (冷たく言うなぁこの人は) 「小春、この人だれ?」 「えっと」 「恋人だよ」 「はあ!? 何言ってるんですか! そんなんじゃないでしょ!」 冗談を言うにしても相手を選んで欲しい。相手は子供だけれど、恋人がいるとは思われたくない。 「栄太郎くん、この人は恋人なんかじゃないからね! ただの意地悪な知り合いなだけだからね!」 「何言ってる、そんな浅い関係じゃないだろ」 「ちょっと! 誤解を招くような言動はしないでもらえます?」 「誤解って相手は子供だぞ?」 「子供でも吉田さんには変わりないです!」 「あんたなぁ、どれだけ一途なんだよ」 呆れ始めた古高さん。私と言い合いしていると、ふとその口が止まった。どうしたのかとその視線の先を見ると、子供の吉田さんが鋭く冷たい視線を古高さんに送っていて、嫌な意味でドキリとした。 「あいつはいつ見ても嫌な目をするな」 ぼそりと古高さんが小声で呟いた。 「古高さん! 子供なんだから──」 「これが子供に見えるか? 立派な野郎の目だよ」 それ以上は何も言えなかった。今の視線は、確かに大人の吉田さんがよくしていたものだった。 何となく気まずくなってしまい話題を変えようと、帰りたがらない吉田さんを今晩預かっても良いか聞いてみる。 「おすすめはしないな」 「だけど、私も時間がないですよね? そこをなんとか」 「そうしたければ勝手にすればいいさ。ただ、誘拐犯になるかもしれないってことは忘れるなよ」 「そこはちゃんとします」 そばで話を聞いていた吉田さんに、今晩泊めてあげることを話すと小さくうなづいた。
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