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翌朝目が覚めると、肘をついてこちらを見る吉田さんがいた。子供の姿なのに妙に様になっているのが少しおかしくて笑いそうになってしまう。こんな早朝に目が覚めているから、眠れなかったのかと聞くとそうではないと返ってきた。
「小春は、何歳?」
唐突なその質問にぎくっとした。
(朝一番で聞くこと?)
「女の人に歳を聞くのは失礼だよ」
そう言ってあえて誤魔化した。未来に戻った時に、吉田さんの記憶が戻っていない状態で聞かれるとかなり困るからだ。どうして年齢が変わってないの? と聞かれるかもしれない。
そうなると、吉田さんの幼少の記憶に今の私が残ったとして、未来に戻った時に元の私の記憶が戻らなかったとしたら、絶対に怪しまれることに気づいた。私が元々は現代から来たという記憶は戻っていないと困る。そうじゃないとこの状況は説明しても理解して貰えない気がする。ましてや〝あの状態〟の吉田さんならなおさらだ。
古高さんはなんの意図をもって、私をこの年に連れてきたんだろうか。
(悪意があるような気がする……)
「──ごめんなさい」
「え、どうしたの?」
「だって歳を聞いたから怒ったんでしょ?」
「そうじゃないよ」
私が押し黙ってしまったことでそう思ったらしい。今は考えたところでもうどうにでもなれと、このことは放棄することにした。
「支度してお家に帰ろうか」
吉田さんは少し名残惜しそうに、布団から出た。
古高さんとの約束の時間は正午まで。それまでに吉田さんをお家に届けなければならない。朝餉を食べて少しゆっくりするとちょうどいいくらいだった。
今朝もだし巻き玉子を作ると完食し、食後のお茶も出した後で気づいたけど、大人の吉田さん好みのお茶を平気で飲んでいた。
その後、支度をして長屋を出た。
家まで送らなくてもいいと言われ、昨日遊んだ神社の境内にやって来た。
「また遊べる?」
「えっと、それは……」
「明日も来るよね?」
「あのね──」
「来ないと許さない」
「う、うん、来るよ」
本当は会えない。だけれど、吉田さんのちっとも怖くない脅迫混じりの問いには「うん」としか頷けなかった。その顔にはまた会いたいという顔がひしひしと感じられたからだ。
(ごめんなさい)
先に心の中で謝った。もし未来に戻ってこの約束を吉田さんが覚えてたとしたら、根に持っているかもしれない。だとしたら、この約束を子供の時の戯れで忘れてますようにと祈るしか無かった。
「時間だぞ、片桐小春」
「古高さん、もう少しダメですか?」
「ダメだ」
吉田さんは、突然やって来た古高さんを隠しもせず睨んでいる。昨日よりあからさまなのは気のせいだろうか。
「小春、これ」
最後の別れ際にそう言って差し出してきたのは、一つの蝉の抜け殻だった。
「くれるの?」
「今日はこれしかない。また今度いいのをあげる」
「ありがとう」
すごくすごく嬉しかった。たとえ蝉の抜け殻だとしても、吉田さんからの初めての贈り物だったからだ。手のひらには握りつぶせば簡単に壊れてしまいそうな大切なものが乗っていた。
吉田さんと別れ、その後ろ姿が見えなくなるまで見つめていた。「また明日」と言って別れたその言葉は守られることがないと分かっていたので余計切なかった。
「帰るよ片桐小春」
促され、来た時と同じ場所──神社の社へと戻って行く。元の年に戻るには、特別何かする訳でもなく時間が来るのを待っていればいいそう。ただ、頭痛は伴うから覚悟しておけとのことだった。
古高さんは、懐中時計のチェーンを私の首にも掛け、秒針を見ながら小さく数をかぞえている。それがカウントダウンなのだとすぐに分かった。数が最後の一になった時、突然激しい頭痛に襲われて立っていられなくなった。
「大丈夫か?」
「古……高さんは、平気、なんですか?」
見ればケロッとしている。なんともないらしい。特異体質というか、何度も行き来を繰り返しているから慣れなのかよく分からない。
帰ったら聞きたいことがたくさんある。だから頭痛なんかでめげている場合ではない、だから……。
「戻ったぞ」
その一言が無ければ分からなかった。途中から立つことさえ出来なくなって、古高さんに腕を抱えられていた。
「おいおい、これから話すこと沢山あるのに大丈夫か?」
「なんで平気なんですか!」
「それは、慣れだ慣れ。これ以上突っかかるな」
まだ頭痛の後遺症が残っている。少し吐き気もしてきた。そもそもの前提として連日の寝不足だった体にはきつすぎた。
「早速話をしよう」
「ちょっと待ってください、まだ──」
「悪いが俺も時間が無い」
「でも──」
「何が聞きたかった?」
まだ痛む頭ではそんなことすぐには出てこない。そんなこと古高さんはお構い無しに、懐中時計の蓋を閉じて部屋の隅に座った。
「じゃあ斎藤一の話をしよう」
「え? 待ってください、一さんになんの関係が?」
引きずっていた頭痛で話も聞きたくない状態だったのに、一さんのことだからなのか不思議と耳に入ってくる。
「あんたは前世の話を信じるか? 聞いたかもしれないが、あんたの前世は斎藤一の幼馴染みだ」
「やっぱりそうなんだ……」
薄々気づいてはいた。もしかしてそうなのではないかと。だけどこうもはっきり言われるとは思ってもいなかった。
「俺はその千歳に恩があった。だから最期の願いを聞いてやることにした」
「願いってなんですか?」
「生まれ変わったら斎藤一と結ばれたいという願いだ。千歳と斎藤一は義理の兄妹だったが、それでも結ばれようと足掻いたが無理だったのさ」
千歳さんの話は聞いたことがあった。だけどそこまでの深い事情はもちろん知らない。
「その願いを叶えようと古高さんは動いたんですか? でも、それだったら私を幕末にタイムスリップさせようなんてならないと思います」
現代で生まれ変わりである私と、一さんの生まれ変わりを引き合わせればいいだけの事。
「どうせだったら本人に会わせてやりたいだろ? 単純に生まれ変わりが結ばれるのはなんだかつまらない。そのせいで千歳は寿命を待たずして亡くなったが」
呆れて言葉が出なかった。利己的で、自分が面白いからやっているように見える。そのせいで千歳さんは死んでいるのに。そんな私の軽蔑を含んだ視線に気づいたのか、古高さんは鼻で笑った。
「呆れたか? だが千歳も承知の上だ。結核だったことには変わらない。死期が少し早まっただけだ」
「たとえそうだとしても、私はあなたを軽蔑しますよ」
「おいおい、あんたはそのおかげで今ここにいられるんだぞ。同じ魂を持つ人間は同じ場所にいることは出来ない」
「それでもです」
「あはは、そうか、そうだな。人生はシナリオ通りにそう簡単にゆくものではないな。あんたは何故斎藤一ではなく、吉田稔麿を選ぶ?」
「それは……」
それは成り行きかもしれない。幕末に来てすぐに一さんと出会っていたなら一さんのことを好きになっていたかもしれない。ただ──。
「タイムスリップする前に、私は吉田さんの生まれ変わりらしき人に会いました。きっと今の私にとって縁があったのは吉田さんなんだと思います」
「それは初耳だな」
驚いた様子の古高さん。そして深く考え込んでしまった。
私も何故吉田さんなのか考えてみるけど、もしもの話があったとしてもやっぱり吉田さんを選んでいた。
それでも古高さんは私が一さんと、もしくは一さんの生まれ変わりと結ばれるのを望んでいる。それは千歳さんの意志でもあるから。
「島原の時も、私を吉田さんから引き離したんですか? だから刺した。そうですよね?」
「それは違う。あれは懐中時計をセットするためにあんたの血が必要だったからだ」
「え?」
ということは、もう──。
「あんたが現代に戻る日をセットしてある。どうだ? 嬉しいだろ?」
愕然とした。
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