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吉田さんはすぐさま両親に祝言を挙げることを伝えに行った。すると大喜びの吉田一家。すぐさま準備をしなければと全員浮き足立っている。
「三日後に祝言を挙げるのね? 急なことだから簡易的にはなるけれど、小春さんはそれでもいいのかしら? もっと盛大に──」
「お母さんいいですから! あの、内輪だけの簡単なものでいいですから」
質素なものでいいと訴える声はなかなか届かない。お母さんは自分が嫁いで来た時に着ていた白無垢を取り出してきて、私の身頃に合わせてみては笑顔になっていた。
それとは対照的に姿見に映る自分を見ると、あまり喜んでいない自分がいた。
「髪の毛が短いのが残念ねぇ」
私の表情にそう感じたのか、そう呟くお母さんの声はまるで聞こえてこなかった。
吉田さんが投獄される前日に言っていたことを思い出す。ゆくゆくは未来に戻ってしまう私を無責任に娶ることは出来ないと、冗談なのか本気なのか分からないけど言っていた。もし今、記憶が戻ったら吉田さんはどう思うだろうか。
かといって吉田さん本人が祝言のことを言い出したのだから、止めるのはなんだかはばかられる。本当に福原家の婿になりかねないし。
そんな私の意思とは裏腹に準備は着々と進んていく。予定では吉田さん家族と親しい人を招いての簡単なものになるらしい。しかし、そんな中でも不安だったのは、福原家のことだった。
その不安が具現化してしまったのか、祝言を翌日に控えていた日に、りつ様が吉田家を訪ねてきた。用向きは私に会うために。
「何のご用ですか?」
話をあまり聞かれたくなかったので人を避けて神社までやってきた。吉田さんはちょうど高杉さんと出払っていた。
「何故逆らうのですか?」
「逆らってはいません。栄太郎さんに従っているだけです」
「その呼び方……!」
私が吉田さんに対する呼び方が変わっていることに、めざとく気づいた。
「一つ、りつ様に聞いてもいいですか?」
「何ですか」
「りつ様は栄太郎さんのどこが好きなんですか?」
「それは……」
「容姿ですか?」
はっきりと言った私の言葉に、りつ様は目を見開いた。図星らしい。
「容姿も立派な理由になるでしょう? 私は栄太郎さんの綺麗なお顔が好きなんです。小春さん、貴女もそうでしょう」
「そうですね、そうかもしれません」
「なら私と同じではないですか」
「いいえ、違う。私は顔も含めて栄太郎さんの全てが好きです。あの人は、人を殺したこともあります。それでも全部を受け止めてあげたいくらいに好きです。もしりつ様がそれほどまでに栄太郎さんを想っていたのだとしたら、私は身を引いていたでしょう。だけど、栄太郎さんの容姿だけ好きだと言うのなら、私は引くわけにはいきません」
「私に諦めろと?」
「はい」
「嫌だと言ったら?」
「嫌だとは言わないはずです。私が、栄太郎さんは人を殺したことがあると言ったあたりから、顔が引きつっていました」
りつ様は今度は驚いて目を見開いた。
「負けました。貴女には敵いそうもない」
その言葉にほっとひと安心したのも束の間、次の一言がまたも私を不安にさせた。
「ですが、私が諦めたと告げたところで、父は諦めないでしょう。どうかお気をつけて」
その言葉を最後にりつ様は行ってしまった。
まだまだ不安の種は尽きない。そして気づいてしまった私の気持ち。今の吉田さんはもちろん好きだ。だけど、私が一番好きだったのは記憶が失くなる前の吉田さんだ。もし記憶が戻った時、無責任なことをしてしまったと、祝言を挙げなければよかったと吉田さんが後悔するのなら私は挙げたくない。
だから──
「君も結構言うんだね」
「え、吉田さん!?」
「吉田さん?」
「あ、栄太郎さん。何故ここに? 高杉さんと出掛けたはずじゃ」
「君があそこまで僕のことを想ってくれているとは思わなかった」
(さっきの全部聞かれてた!)
急に小っ恥ずかしくなってきて、顔が火を吹いたように熱い。
「ち、違いますから! りつ様に、栄太郎さんを諦めてもらうよう説得するためであって、私は──」
自分で言い訳を述べていると、どんどん恥ずかしさが込み上げてくる。
「か、帰ります!」
言い捨てて駆け出した。逃げなければと走るけれど幾許もしないうちに、吉田さんに掴まってしまった。そして後ろから抱きしめられる。
「あ、あの吉田さん」
「吉田さんじゃない」
未だに間違えてしまう慣れない呼び方を優しく諭される。
「君が年下で良かったと今噛み締めてる」
(どこかで聞いたような)
「栄太郎さんの好みは年下ですか?」
「違うそうじゃない。あの時は年上だったから、いつ嫁いでしまうかと気が気でなかった」
吉田さんの過去に行き、一晩過ごした時だ。私がもう寝入ったと思い込んだ幼い吉田さんが呟いた言葉を思い出した。
『年下だったらよかったのに』
その言葉の意味が今分かった。それと同時に気づいたこともあった。
「栄太郎さんはその時から、私のことが好きだったんですか?」
「そうだけど何?」
(そうだけど何? じゃない!)
更に恥ずかしくなっていたたまれなくなったので、不意をついて逃げ出した。
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