再び。

3/6
2707人が本棚に入れています
本棚に追加
/441ページ
小間物屋、『胡蝶』というらしい──でお世話になり始めてから一か月と少しほど経過した。私の希望で店のお手伝いをしたいと言ってもそれは叶わなかった。なので細かな家事以外は、奥の部屋にある縁側ででただひたらすらぼーっと過ごす毎日でそんな様子を見かねて、お千代さんがほんの少しだけ外に連れ出してくれた。 「ごめんね、お店を手伝ってもらう訳にはいかないから」 「分かっています、お世話になってる身でわがままは言えません」 新選組に顔が割れている私じゃきっとリスクがありすぎて店先で使えないことは、言われなくても分かっていた。 「入江さんとお千代さんは店先に出ても大丈夫なんですか? 今の京の情勢だと少し心配なんですけど」 「大丈夫。一応夫婦として変装しているから、そう簡単にはバレないわ」 「二人はまだ祝言は挙げてないんですか?」 「入江くんは落ち着いたら挙げようって言ってくれているの」 もうそんな所までいっていることに少しびっくりした。入江さんも存外男なんだなぁ、と少し見直す。 人でごった返す大通りから少し入ったところに茶屋があり、そこで甘味でも食べようと、のぼり旗の隣にある縁台に座った。萩では甘味を食べに行く余裕もなくてそれどころではなかったから、久しぶりに食べられることになり素直に嬉しかった。 お千代さんはぜんざい、私はみたらし団子を頼み、それを待っている間ずっと気になっていたことを訊ねた。 「新選組をやめる時、大変だったんじゃないんですか?」 「そうね、全ての責任は私が取るべきだったの。結局はすーちゃんに取ってもらったのだけど」 「え! じゃあ、せ、切腹ですか……?」 「ええ」 「どうしてそこまで──」 「元々、新選組に誘ったのは俺だって言い張って、それで。あ、でも大丈夫よ、切腹はしたけどそれは見せかけでちゃんと生きているから」 「なんだ、生きてるんですか。死んだかと思いましたよ」 顔見知りで死んだと聞いたら、さすがに心が痛む。それに、見せかけと言っても切腹を偽装するなどそう簡単に出来る芸当じゃない。そんな修羅場をくぐり抜けて、今は何をしているのだろうかと気になり尋ねてみた。 「今は完全に裏方に回って、土方さんに付いてるの。もう表には出てこないんじゃないかな」 「でもそれだと、お千代さんが入江さんと一緒にいること知られているんじゃ……。土方さんに告げ口されてしまいますよね」 「それは大丈夫。昔からのよしみだもの。黙っていてくれると一筆書いてもらったわ」 (流石だお千代さん) 幼なじみとはいえ山崎さんに一筆取り付けるあたり、用意周到だ。それでいて自分は無傷で新選組を抜けたのだから、その処世術には感服した。 その時、甘味が運ばれてきた。もうこの話はおしまいだというように、お千代さんはぜんざいを頬張りだした。私もみたらし団子を頬張る。久しぶりの甘味はとても美味しい。美味しいはずなのに、どこか味気なく感じられた。 (栄太郎さん、大丈夫かな……) 気がかりなのはそれひとつ。記憶が戻っていればいい、そう願うのにその願いはどうしてか叶いそうもないように感じられてしまう。 「美味しくない?」 「え!? あ、美味しいですよ」 お千代さんには気取られてしまった。何故そんな顔をするのかは聞かずとも分かるらしく、ただ「大丈夫よ」と声をかけてくれる。 「なんか、変わったわね」 「何がです?」 「吉田先生のこと、ものすごく大切にしてるんだなぁって分かるわ」 「え? いや、あの──」 突然のことになんて答えたらいいか(ども)ってしまった。それに答えづらい。 「その気持ち、大切にね」 「……はい」 あえて深く追求してこないのはお千代さんのいいところだ。 帰り際、入江さんにお土産を持っていこうとしたお千代さんは注文するために席を外して、茶屋の中に行ってしまった。取り残された私は軒先に置かれた縁台に一人残って座って待っていた。 人の流れを眺めながらぼーっとしていたら誰かが隣に座ったのが分かり、誰だろうかと見上げると、瞬時に体が強ばった。 「古高さん……」 「やあ、片桐小春。気分はどうだい?」 分かっていて聞いてくるあたり、ふてぶてしい。平静を取り繕い、感づかれないように冷静に聞き返した。 「何の用ですか」 「何の用って、約束を(たが)えないでくれよ」 「約束とは?」 「遺書はもう届けたか?」 「……」 「まだなのは知ってる。俺はどこからでも見てるから。さもないとどうなるか分かっているよね?」 その言葉に一瞬怯みそうになるも、耐えた。 「何のことだか存じません」 「吉田栄太郎は記憶を取り戻すことは無いんじゃないかな」 「……」 「あれ? 冗談のつもりだったんだけど、そんな泣きそうな顔しないでよ」 「用がないならば失礼します」 立ち上がりその場から離れようとした時、腕を掴まれて、さっきとは打って変わった地を這うような声で言われた。 「あと三日以内に届けろ。それ以上は待てない」 そう言い捨ててその人は去っていった。 途端、膝の力が抜けてその場にうずくまってしまった。 「小春ちゃん! どうしたの?」 お千代さんがちょうどやって来て、気遣うように私の様子を窺ってくる。なんともないと告げると、少しほっとしたような顔を見せた。 「帰りましょう。久しぶりの外出でちょっと疲れました」
/441ページ

最初のコメントを投稿しよう!