再び。

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三日以内に届けろと言われたことは、頭からそう簡単には離れなかった。言うことを聞かないと、誰かがまた栄太郎さんと同じ目にあってしまう。それは一種のトラウマだった。もう二度とあんな思いはしたくない。私の周りの大切な人たちにそんな思いをさせたくない。 あれだけ何もしなくていいと言われたけど、誰かの身の安全には変えられないからと腹を括ることを決め、千歳さんの遺書を新選組に届けることにした。入江さんとお千代さんが店先に出ている隙に、気づかれぬように裏口から出た。 (確か、ここの辺り……) 朧気な記憶を頼りに、新選組の屯所に何とかたどり着いた。持ってきた千歳さんの遺書を握りしめ、いざ門から入ろうとした時だった。 「何やってるんですか!」 誰かに止められて、慌てて目立たない木陰へと連れていかれる。 「佐助くん?」 「あれだけ何もするなと言われてるのに、どうして小春さんは──」 「どうしてここに?」 「お目付け役です。陰から見守ってたのに、見てたらあそこに入ろうとするから」 佐助くんに跡をつけられていたなんて気づかなかった。 「帰りましょう」 「ごめん、それは出来ない」 「どうしてです?」 「これを届けなくちゃならないから」 「どういう状況か分かってますか? 新選組は小春さんのことを探しているんです。それなのにのこのこと自分から現れるなんてそんな馬鹿な話ないですよ」 佐助くんにしては珍しく言うなと思いつつ、一つの疑問符が浮かんだ。 「新選組は私を探してるの?」 「そうみたいです。詳しくは分からないですけど。だから帰りましょう」 「そうはいっても、こっちにもやらなきゃいけない理由があるの。そうじゃないとまた誰かが危ない目にあうかもしれない」 佐助くんのことだ。お願いすればきっと折れてくれる。 「僕が届ければいいですか?」 「でも、佐助くんだって顔が割れてるんじゃないの?」 「小春さんは行けないです。でも届けなければいけない物がある。ならば僕が行くしかないでしょう」 「そんなことさせられないよ」 「なら諦めて下さい」 佐助くんもかなり食い下がってくる。よく見ると少し怒っているように感じられる。 「きつく言うようですが、僕は吉田先生の為に今言っているんです。小春さんが新選組に囚われてしまったら、吉田先生は今度こそあなたを取り返す手が無くなる。小春さんのことも大切ですが、吉田先生の気持ちも汲んでください。でないと──」 「でないと?」 「僕とふさちゃんの関係を吉田先生は認めてくれない……」 (ああ、そんなところにまで迷惑をかけるところだったのか……) これは言うことを聞くしかないんじゃないかと気持ちが揺れ始めた。 栄太郎さんが身の危険をさらしてまで前回連れ戻してくれたことを考えると、やはり新選組に向かう気にはならなかった。だけども、古高さんの脅しも同じくらい私には恐ろしくて堪らなかった。 「とりあえず、今は帰りましょう」 「……だけど」 「ね? 帰りましょう」 その時だった。 「──君は何してるの!」 よく知った声。まさかそんなはずはないと、辺りを見回すとそれは気のせいではなかった。 その声の主は酷く焦っているようで、旅支度のままだということが尚更焦りを引き立たせていた。会うことになるのはずっと先だと思っていたのに。 「どうして……」 「何してるの」 「えっとそれは……」 久しぶりに会う栄太郎さんは焦りと共に、若干〝あの状態〟を発動させている。しかし何よりどうしてここにいるのか、それが不思議でならなくて思考停止してしまった私の代わりに、佐助くんが聞いてくれないかなとか考えていたら、佐助くんからは意外な言葉が発せられた。 「先生、遅いです」 「五月蝿い。どうしてお前なんかに指図されなくちゃいけないの」 「でも、危ないところでした。小春さん今にも新選組に行こうとしてて」 (状況が掴めない……) 未だに唖然としている私をよそに、二人は何か言い合いをしている。佐助くんも言うようになったなぁとか考えていたら急に栄太郎さんがこちらに向き直り、「帰るよ」と手を引っ張って歩き出した。 (帰るよって一体どこに?) 「萩に帰るんですか?」 「違う」 「じゃあどこに?」 「馬鹿だね、九一のところだよ」 呆れているその人に手を引かれながら小間物屋胡蝶に着くと、栄太郎さんは尚も強引に手を引っ張って店の奥の方へと私を連れて行く。 栄太郎さんはこのお店のこと知っていたの? と一種の疑問が浮かび、佐助くんに尋ねると、僕がさっき教えましたと返ってきた。 急に現れたその人に入江さんとお千代さんは動くことも出来ずに固まってしまっていた。 「あの、あの!」 「……」 「吉田さん──」 「栄太郎! 何度言ったら分かるの」 「栄太郎さん、どうしてここに?」 「嬉しくないの?」 栄太郎さんは〝あの状態〟絶賛発動中だ。 「その、嬉しいというよりも状況が掴めません。急に現れたものだから頭が追いつかなくて……」 「君が新選組に囚われたと文が届いたから、急いで駆けつけた。そしたら案の定、屯所の前にいるから肝を冷やした。佐助がいたから良かったものの……」 珍しく頭を掻きむしっているその仕草に、だいぶ心配をかけてしまったらしい。旅支度もそのまま、額に玉のような汗を浮かべているその姿が、余裕の無さを物語っていた。 「ごめんなさい……」 「何故あそこにいた? 届いた文は確かに怪しなと思っていたけど、まさか本当に屯所の前にいるとは思わなかった。あれほど頼むと言ったのに、玄瑞は何をしてるわけ? 九一だってそうだよ、自分のことにかまけてるから……全く使えない」 言い訳をしようとした私の代わりに、水の入った(たらい)を持ってきた佐助くんが答えた。 「小春さんは古高に頼まれた物を届けるために一人で新選組に向かおうとしていました。必死で止めたんです、僕だってやれば出来るんですよ」 「他の連中に比べれば確かによくやった。だけど嘘の文を書くのは良くない」 「うっ……」 「佐助の筆跡に僕が気づかないとでも?」 「だけど、あれくらいしないと先生には緊急事態だって伝わらないですよね。おかげで小春さんがまだここにいるんですから万々歳じゃないですか」 どうやら佐助くんのおかげで、栄太郎さんは京まで来てくれたらしい。 「小春さんたら、茶屋である男と接触してから様子がおかしいし、これはただ事じゃないなって思って、それより早めに文を出していたんですが正解でした」 茶屋で古高さんと接触したことを佐助くんには知られていたのかとびっくりした。 「もういいから、佐助は下がって。しばらく誰も通さないで」 栄太郎さんがそう告げると、佐助くんは部屋を出て行った。誰も通さないでと言うあたり、私も出ていった方が懸命だなと思い部屋から出て行こうとすると、腕を掴まれた。 「君はここ」 「……はい」 「どうして早まったことをしたの?」 「あの、栄太郎さん」 「なに」 「足を洗いますね」 言われて気づいたのか、旅支度のままで自分が草履を履いたままだということに気がついたらしい。土埃で汚れている足は、ところどころあかぎれていた。佐助くんが持ってきてくれた盥で、足を洗おうとするとことごとく拒否される。 「それくらい自分でやる」 縁側で栄太郎さんが足を洗う横で、手ぬぐいを持って座るけれど未だにここにいることが信じられなかった。 恐る恐る聞いてみることにした。 「記憶は戻りましたか?」 (怖い、戻ってなかったらどうしよう) 「戻ったよ」 「本当ですか?」 「嘘を言うと思う?」 首を横に振ってそれを否定した。途端、涙がじわりと溢れてくるのが分かり、誤魔化すように持っていた手ぬぐいで目を覆った。 もう戻らないとどこかで諦めていた。それならそれで受け入れようとも思った。だけど── 「悪かった。心配かけて」 そう言って栄太郎さんは私を引き寄せて、力強く抱き締めた。
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