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「これはこれは珍しいお客さんがいますね」
声の主は久坂さんだった。そのことに胡蝶にいた全員が驚いたのは言うまでもなかった。
「久坂さん! どうしてここに?」
「栄太郎に話があったんです。そしたら珍しい先客がいたもので、暫く様子を見ていました」
ということは、久坂さんは今までの話を全部聞いていたことになる。微笑みをたたえながらこちらにやって来た久坂さんはいつもの柔和な感じが消えて鋭さが垣間見えた。そんな中山崎さんに話しかけた。
「佐助のことに関してはこちらにも考えがあります。どうかそのことを土方殿に伝えて貰えないですかね」
若干脅迫染みている久坂さんの微笑みに山崎さんは言うまでもなく顔が引きつっていた。あとは二人だけ話そうと胡蝶から出ていってしまった。
「栄太郎さん、久坂さんは──」
「うん、何か考えがあるんだろうね。だけど、僕らに知られるとちょっと不味い。どれだけ黒い取引なんだろうね」
「ちょっと気になります」
「知らない方が身のためだよ」
「佐助くんはこれで大丈夫ですよね」
「多分ね。ただ、この店の場所が知られた危険性はあるから今日の内に店はたたんだ方がいいね」
そう言ってお千代さんを見ながら話した栄太郎さんに、お千代さんは静かにうなづいた。
「近いうちに堺に行こうかと思っていました。ちょうど良かったです。入江くんもそれでいいわよね?」
「それなら仕方ないよ〜。もう少しお店やりたかったけど……」
「九一は本分を忘れてないよね? お店をやる為に京にいたわけ?」
「栄太郎、ち、違うよ! 別にお千代ちゃんと居たいが為にとかそんなわけないじゃないか!」
その反応は、そうですと言っているようにしか聞こえない。思わずジト目で入江さんを見てると、「ほ、ほんとだよ!」と返ってきたが、私はそれを信じることが出来ない。
「まあ君達のことなんて興味ないよ。小春、僕らはこのまま堺に行って晋作が手配した船で江戸に向かうよ」
「そんな、急に言われても、そもそもなんで江戸なんですか? 理由を知らないとどうしようもないです」
「そうだよ栄太郎! 俺らにだって京に来たかと思ったら江戸に行くとか、説明してくれたっていいじゃん」
私と入江さんの抗議に、ため息を吐いた栄太郎さんは仕方ない様子で話してくれた。
「僕はまだ正式に復藩していない。殿にお許しを貰ってケジメをつけるために江戸で先生に挨拶してからと思っている。ただそれだけ」
「そうだったんだ、やっと栄太郎も向き合う時が来たんだね。友としてなんだか嬉しいよ」
「五月蝿い」
「ひどいー」
栄太郎さんの照れ隠しの『五月蝿い』に思わず微笑んだ。先生というときっと松陰先生のことだ。江戸で処刑されたと聞いていたからきっと今まで避けていたお墓へ挨拶に行くんだ。
「小春はついてきてくれるよね?」
「もちろんです。ただ、古高さんのこと持て余しているような気がして、このまま行ってもいいのか不安ではあります」
「それは心配ないですよ小春さん」
久坂さんが山崎さんとの話をつけてきたのか、お店に戻ってきた。心配ないとはどういう事なのか訊ねると、さっき栄太郎さんが山崎さんに渡した遺書もどきは土方さん経由で一さんに渡してもらうことになったと久坂さんは言った。
「古高との約束は形だけですがこれで守られるはずです。小春さんが直接手渡すことが条件には無かったはずですから、古高の当初の目的は果たされるでしょう」
その考えは少し強引な気もするけど、あながち間違ってはいない。ただそれだけじゃ山崎さんは引き下がらなかったはずだ。きっと山崎さんを引き下がらせた何かがきっとあったはず。それは聞いてはいけないと直感的に感じた。
今回千歳さんの遺書を渡したことにより、私達が京に滞在していることがこれで向こう側にはバレてしまうということで、直ちに京を発つようにと言われてしまった。久坂さんは変わらず京に潜伏すると言うけれど、この胡蝶はもう安全じゃない。
「じゃあ明日には行くんですか?」
「いいえ、今すぐにでも発って下さい」
そう言った久坂さんと私のやり取りの最中にも、お千代さんと入江さんは荷物をまとめ始めていた。私も荷物をまとめて、簡単な旅装束に着替えた。栄太郎さんを見ると慣れているのか手際が早くて既に準備万端だった。久坂さんはもういなくなっていて、私と栄太郎さん、入江さんとお千代さんだけが残っていた。
「ここからは別行動の方がいい」
そう言われて、お千代さんに一言挨拶しに行く。
「お千代さん──」
「小春ちゃん、また会えて嬉しかったわ。次はいつ会えるか分からないけど、必ずどこかで」
「はい」
最後の挨拶を交わして、先に栄太郎さんと私はお店を出た。
大通りに出て人混みに紛れた。顔が分からないように笠を目深に被って栄太郎さんも私も顔を隠している。はぐれないようにと栄太郎さんと手を繋ぎ早歩きで歩いていると、大通りの反対側で、浅葱色の隊服をはためかせている集団が駆けるように通り過ぎた。見知っているその隊服の集団は、小間物屋胡蝶がある方へと向かっている。
「栄太郎さん、二人は……」
「大丈夫だよ。二人はそんなのろまじゃない。それより先を急ごう」
一歩行動が遅ければ、捕縛されていたかもしれない。そんな緊張感と不安に、握り締めていた手をぎゅっと更に握ると、栄太郎さんは安心させるかのように握っていた親指で、私の手の甲を軽くさすってくれた。
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