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翌朝。栄太郎さんは既に起きていて、寝たのか寝てないのかよく分からず布団はもう綺麗に畳まれていた。
「おはようございます」
「……おはよう」
「ちゃんと寝ました?」
「寝たよ」
「今読んでる本、逆さまですよ」
言われてハッと気付いた栄太郎さんは、ため息を混じりにこちらに振り向いた。
「あまり眠れなかった」
「大丈夫ですか? 枕変わると寝れないとか?」
「違う。今日は先生の所に行こうと思っていたからそのことを考えていて眠れなかった」
「そうですか」
(やっぱり栄太郎さん、なんか変わった)
前は自分の気持ちなんて自ら話すことなんてなかったのに、今はこうして話してくれる。それが何だか嬉しくて、胸の辺りがこそばゆい感じがする。
身支度を整えて、朝餉を食べ終えると、栄太郎さんは出かけてくると言った。
「もしかして先生の所に?」
「そうだよ」
「私も行きます」
「小春は残ってて。体をもう少し休めてた方がいいよ。それと僕がいない間はあまり出歩いて欲しくない」
「分かりました……」
ついて行きたかったけど、栄太郎さんがダメと言うなら仕方ない。先生と二人きりで話がしたいのなら邪魔するつもりは無いし。ただ、少しだけ江戸の町を出歩いてみたかったからそこが少し残念だった。
そんな思いが顔に出ていたのか、去り際に栄太郎さんは、
「宿屋の近くだったら、出歩いてもいいよ」
そう言ってから部屋を出て行った。
私はひっそり貯めていた金子を持ちだして、どこか近くに小間物屋か茶屋がないか見て回ろうと思い、宿を出た。
通りには人がごった返していて宿を出て幾らかしないうちに、近くにお茶屋があるのを見つけた。可愛らしい雰囲気のお店で、ここに来る年代層が明らかに分かるようなお店だった。みたらし団子を食べようと思い向かおうとした時だった。
「千歳ちゃん!」
そう呼び止められてびっくりした。振り返ると、中年のお淑やかな女性が私の肩を掴んでいた。
「あの……」
もしかしてじゃないけど、千歳さんの知り合いにばったり出会したりなんかして、なんて思っていたらそのまさかがこんな早々に起こることなんて誰が予想しただろうか。
「千歳ちゃん生きていたのね! 死んだと聞かされていたけど本当は死んでなかったのね!」
「あの、ごめんなさい、人違いです」
「人違い?」
「私は千歳ではなく小春といいます」
「あら、そうなの……ごめんなさいね」
死んだと聞かされていた人物が生きていたと思ったらまさかの人違いだったことに、目の前の女性はころころと表情が変わっていく。それに何処か見覚えがあるような、ないような。確か現代の私の幼なじみの母親に似ていた気がする……。
そう思った途端、ああこの人はきっとあの人の縁者なのだろうと思い至った。
「失礼ですけど、もしかして一さんの……?」
「一を知っているの?」
「面影があるので」
「そう、母親よ。京で一に会ったのね。あなたは一と知り合いなの?」
「少しだけ」
「一は元気だった?」
「私が最後に会った時は元気でした」
元気ではあったけど別れ際には悲しませてしまったのだと思う。
「そうなのね。これは神様の思し召しなのかしら。千歳ちゃんにそっくりの貴女が一と知り合うなんて。貴女は千歳ちゃんとは知り合いだったの?」
「いいえ、会ったことは無いです」
まさか生まれ変わりですなんて言えない。そんな気まずさが伝わったのか、一さんのお母さんは話を逸らした。
「一緒に甘味でもどうかしら? あそこのみたらし団子が大好きなのよ」
有無を言わせず、私が行こうと思っていたお茶屋を指さして、私の手をぐいぐい引いてゆく。店先の縁台に腰かけた辺りで私の方から話を切り出した。
「あの──」
「ごめんなさい少し強引だったかしら。つい嬉しくて、二人には何もしてあげられなかったから……」
話をしていて次第に顔が曇っていく目の前の人にどうしていいか分からなかった。
「千歳さんはどんな方だったんですか?」
「とてもいい子よ。聞き分けが良くて、自分のことを後回しにするような子。だから尚更こちらもそれに甘えてしまって、今思えばもっと甘やかしても良かったなって思うのよ」
「あの、聞きました、二人は義理の兄妹だったと」
「そうなの。きっとそこから間違えてしまったのね。孤児だったあの子を養子にしたのが間違いだった。あの子と一は想いあっていたのに、私とうちの人がそれに気づいたのはもっと後のことだった」
注文したみたらし団子がくるも、一さんのお母さんは昔のことを思い出しているのかそれには目もくれずに私に話を続けた。
「一はね、人を殺したのよ」
「えっ……」
「大きな声では言えないけれど、江戸であの子は人を殺したの。とても苦しかったでしょうね。でもねそのおかげで救えたものもあったのよ」
初めて聞いたことだった。一さんが江戸で人を殺してしまったこと。その事実になんとも言えない気持ちになった。幼なじみと被る一さんの姿は、私にとっては現代の高校生とほぼ変わりないように見える時がある。その人が人殺しなどと有り得ない、そんなことあってはならないとつい思ってしまった。だけどここは幕末で、そんなことは現代にいた頃よりもずっと日常に潜んでいるんだ。吉田さんがいい例だ。
「一さんが救えたものってなんだったんでしょうか」
「千歳ちゃんよ。あの子は千歳ちゃんの嫁ぎ先の旗本を殺したの。もともと好色家で歳もだいぶ過ぎてた。いい噂も聞かなくて、それに耐えかねて一は行動したのよ。私達も勿論このことに後悔はしてない。けれど、あの子の手が汚れてしまったことは今でも後悔している……」
(一さんは千歳さんの為に……)
「一さんはそこからどうしたんですか?」
「それを機に京へ逃げたのよ。京には親戚がいたから匿ってくれるように頼んだの。でもね、千歳ちゃんはそれを見て後を追うと聞かなくて女の身一つで京へ行ってしまったの」
この時代、女の身一つだとだいぶ危ない。そんな危険も孕んでいたのに、そこまでして一さんを追いかけたかったんだ。
「千歳さんはその時からもう体調は良くなかったんですか?」
「さあ、どうかしらね。京に着いたと文が届いてから程なくして亡くなったと報せが届いたから、そうなのかもしれないわね」
義理の兄妹として育ち、最後は結局結ばれることはなくこの世を去ってしまった千歳さん。一さんを追いかけて京まで行こうとした時、きっと千歳さんは義理の兄妹の垣根を越えようとしていたのかもしれない。けれど病気には抗えなかった。そんなようにも思える。
「どうしても最後の声を一に届けたかった」
「どういうことですか?」
「私達が届けても良かったのだけど、千歳ちゃんの遺書をあの子に渡して貰えないかしら?」
(遺書? 遺書は本当にあったの?)
「あの、遺書って? 千歳さんは最期に遺書をお母さんに託したんですか?」
「届いたの。亡くなった報せを受け取る直前に千歳ちゃんから。宛名は一だった。どうして本人に渡さないのか分からなかったけれど、一宛のものだから開封はしていないわ」
「そんな……」
古高さんによるものは偽物だった。だけど千歳さんの本物の遺書は実在していたなんて。
「一に届けてくれる?」
「それは、その……」
この状況ではきっと無理だろう。私が遺書を新選組にいる一さんに届けたら、今度こそ栄太郎さんの元へは戻れなくなってしまう。
「ごめんなさい、きっともう一さんには会えないと思うんです」
「そう……。なら持っているだけでも構わないから、持っていてくれないかしら」
「いいえ、私は千歳さんとは何の関係もない人間です。家族であったお母さんが持っているべきかと」
「いいの、家族であっても結局は持て余してしまう。一に会える機会があったらでいいの、お願いしてもいい?」
持っているだけでも構わない、そう願う一さんのお母さんの気持ちはよく分かる。千歳さんと瓜二つの私にそれを託したいということだと。
「分かりました」
「ありがとう」
遺書を取りに家へ戻ると言った一さんのお母さんは、一緒に来てはどうかと誘われたけど栄太郎さんとの約束があるのでそれは丁重にお断りした。夕刻にはまた来ると告げて別れた。
(千歳さんの本物の遺書か……)
またも古高さんの仕業ではないかと勘ぐってしまうけれど、きっとそれは無いだろう。千歳さんが亡くなる前に託したものなのだから。
一旦宿屋に戻り、部屋で休むことにした。栄太郎さんは正午には帰ってくるだろうと思って待っていたらいつの間にか夕刻になってしまい、一さんのお母さんとの落ち合う約束の時間になってしまった。
待合場所のお茶屋に着くと、もうすでに縁台には一さんのお母さんが居て、隣には何故か新たに中年の男の人がいた。
「小春さんごめんなさい。うちの人も連れてきたの。ひと目でいいから会いたいと」
「一さんのお父さんですか?」
一さんのお父さんは一さんによく似ていて、お母さんは笑った顔が面影があると思っていたのに、お父さんの方は普段の顔が一さんによく似ていた。表情が少し乏しい感じがまたよく似ている。
「いきなりですまない。一にどうしても渡して欲しいものがあってそれを頼めるかな」
「あの、でも──」
一さんには今後会えるかどうか分からない。それを渡せるのかどうかも正直いって難しいことだった。そのことをはっきりと伝えると、それでも構わないと言われてしまった。
「千歳に渡そうと思っていた懐刀を、遺品として一に渡してもらいたいんだ」
「そうは言っても、そんな大事なもの預かる訳には──」
「構わない。君が貰ってくれてもいいくらいだ」
そこまで言われると断ることが出来なくなってしまった。半ば私に押し付けるようにして差し出された懐刀は、小さな螺鈿細工が施されていて、明らかに高価なものだった。
どうか頼むと、一さんのお母さんお父さん二人に往来で頭を下げられてしまって、どうしていいか慌てることになってしまった。どうか頭を上げてと何度も懇願してもなかなか上がらない。
その時だった。
「小春、何してるの」
振り返ると栄太郎さんが怪訝そうにこちらにやってきて、私の肩を抱き寄せた。未だに頭を下げる二人に向かって思わぬことを口に出した。
「うちの者が何かしましたか?」
(うちの者?)
驚いて栄太郎さんを見上げた。
その言い方はまるで奥さんのようではないか、と突っかかりそうになり、すんでで止めた。
栄太郎さんは何食わぬ顔をしている。これには流石に頭を下げていた二人も驚いたようで頭をゆっくり上げて瞠目している。
「これはご主人がいたとは露知らず、小春さんすみませんね」
「あのご主人じゃな──」
私の肩を抱く栄太郎さんの手に力がこもって、それ以上は喋るなと暗に言われた。
栄太郎さんの氷点下のオーラが伝わったのか、懐刀と遺書をよろしく頼むと押し付けられて、そそくさと一さんの両親は去っていってしまった。
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