遺された思い。

3/4
2707人が本棚に入れています
本棚に追加
/441ページ
遺書だけじゃなく懐刀まで預かることになってしまい、自分ってなんてお人好しなんだろ押しに弱いなとか思っていたら、耳元で栄太郎さんが囁いた。 「奥さん、帰るよ」 「ちょっと! 栄太郎さん、それどういう意味です!?」 「さっきの人は誰」 「さっきの人はその──って、はぐらかそうとしてません?」 「誰?」 「一さんのご両親です」 それを聞いた途端、キッと強く睨まれた。 そうなることは分かっていたから、敢えて目はそらさずにつとめて答えた。 「ばったり出会(でくわ)したんです。ほんとにたまたまなんです」 「それで? お人好しだからそんなものも頼まれたわけ?」 「その、それは、断るに断りきれなくて……」 「君は危機感が無いの? もしも古高の手の者だったらどうするわけ?」 「それはその……」 「その文もまた偽物だったらどうするの」 「それはないと思います! 今度こそ違います。あの人達だって古高さんのことは知らないはずです」 「そうやって馬鹿みたいに信じるわけ?」 「馬鹿でもなんでもいいです。栄太郎さんは少し疑心暗鬼なんじゃないんですか。古高さんが江戸にまでついてくるわけないじゃないですか」 「はぁ……もう勝手にしなよ」 そう言い捨てて先に歩き出してしまう栄太郎さん。自分でも馬鹿げているなとは思うけれど、受け取ったこの遺書は、直感で本物なんだと言っている気がしてならなかった。 ただ受け取ったところで、一さんに渡す術などないし、きっと渡すことは出来ないだろう。 (ほんとに矛盾してる……) 宿屋に戻った頃にはすっかり日も暮れてしまった。部屋に戻ると、栄太郎さんは手際よく行灯に火を入れてから、あからさまに手を出してきた。 「見せてそれ」 「遺書ですか?」 「うん、開けるから貸して」 「待ってください、これは遺書ですよ! それも一さん宛のものです。そんな人のものを勝手に開けるなんて!」 「結局はその遺書も届くことが無いのなら今開けたって問題ないでしょ」 「あ、ちょっと!」 奪い取られて封を開けられてしまった。これでもう二回目だ。今に始まったことじゃないけど、この人はなんて強引なんだろう。 遺書を読み進めていく栄太郎さんを、仕方がないという風に静かに見守っていると、だんだんと栄太郎さんの眉間にシワが寄っていく。 「これ……」 「なんですか? 偽物でした?」 「いや、本物だと思う。ただこれは……、いやなんでもない」 なんでもないと言われてしまうととても気になってしまう。だけど人が書いた遺書を無神経にも栄太郎さんみたいに読む勇気は無い。 「仕舞っといて」 封筒に戻しとけと言われて手に取ると、結構な枚数があった。それだけ一さんへの気持ちがあったということなんだろう。その大切な気持ちを覗き見してはいけないと、丁重に封筒へと戻した。 夜も更けた頃、寝ようとして布団を敷くと、布団の間が空いてるだとか、一緒に寝ようか? などと心臓に悪い冗談の押し問答の末、譲歩して布団をくっつけて寝ることになった。 栄太郎さんが珍しく布団に入る姿を見て、ほんの少しだけ安堵した。 (この人は一体いつ寝てるんだろう) それくらい布団に横になっている姿を見ていない気がする。行灯の火を消すと、私も布団に入った。 目を閉じて、ふと思い出して、再び目を開けて栄太郎さんの横顔を眺めて、声をかけようか迷った。 「何?」 「えっと……」 目を閉じながらも栄太郎さんは、私が見つめていたことに勘づいた。 「栄太郎さんは今日、どうでしたか?」 「聞きたい?」 「……嫌ならいいです」 「君のおかげできちんと挨拶出来たよ」 「そうですか」 「一緒に行きたかったと思うけど、それは本当に悪かった。ただ、僕の中でケジメをつけたかったから一人で行きたかったんだよ」 「それはいいんです。先生が眠る所はどんな場所なんですか?」 「丘の上にある大夫山という所だよ。晋作たちは改葬を申し出て新たに墓碑を建てていた」 「そうだったんですね」 「どうしてもっと早く来なかったかと後悔したよ。自分のやり切れない悲しみばかりにかまけて、大事なことを忘れていた。それに気づかせてくれたのは君だよ」 「私は何もしてませんよ」 「いや、存在してくれることだけで救われた」 「大袈裟です」 「もう何もかもどうでもいいと思って諦めてた。それが小春と出会って、最初はなんでもないと思ってたよ。でも、傍にいてくれて馬鹿なことしたり生意気なことを言われたりしたけど、少しずつそんなことがあってもいいかと思えた」 「生意気なこと言ってすみませんね」 「茶化してるわけじゃない」 暗がりで顔がよく見えないけれど、栄太郎さんが笑ったように見えた。 「僕にとって大切な人ができたことは大きかった。これからこの国がどうなるのか、その大切な人が安心して過ごせる未来に出来ることは何か考えることができたから、再び動こうと思えたんだよ」 「あの、さっきからその大切な人って──」 「君のことだよ」 栄太郎さんのいう『大切な人』とは誰なのか気づいているのに、未だに実感が湧かなくて、自分のことじゃないと思えてしまう。だって今まで『好き』とも言われなかったから、お千代さんが前に言っていたけれど、言葉に出してもらった方が嬉しいのだと今になってよく分かる。ただ、そんな図々しいお願いなどこの先ずっと出来そうもない。 「君は馬鹿なの?」 「え? 急に人を馬鹿呼ばわりしないでくださいよ」 「鈍感なの?」 そう言われて少しカチンときてしまった。 「鈍感だったら今頃栄太郎さんとここにはいません!」 「じゃあ──」 「今ここにいるのは栄太郎さんのことが好きだからです!!」 (あっ……) 勢いに任せて口から出た言葉に自分でもびっくりして、だけど瞬時に気恥ずかしさも込み上げてきて、暗がりでもバレてしまうんじゃないかというくらい顔が赤くなるのがよく分かった。怒りに任せて口をついて出たとはいえ、こんな言い方はしたくなかった。 「ごめんなさい、今のは忘れてください……」 (もう無理もう無理もう無理) 恥ずかしくて、布団を丸被りして顔を隠した。それで逃げたつもりになっていたのに栄太郎さんは容赦なくて、その布団を剥いで私の顔を覗き込んでくる。ほんの少し差し込む月明かりに照らされた目の前のその顔は、意外にも茶化すような顔ではなく真剣そのものだった。 「僕も好いているよ」 「…………いまなんて?」 「好きだよ」 私は目を見張った。目からはじわりと涙が溢れてくるのが分かった。 「何で泣くの」 「だって……、栄太郎さんからはそんな言葉一生出てこないと思ってたから」 「僕がそんな薄情な男に見える?」 「見えます」 「あのねぇ──あー、もういい」 目の前のその人は頭を抱え込んでしまった。 「僕が好いている女なんて、後にも先にも君だけだよ。それだけは忘れないで」 「……はい。だけど」 「なに?」 「栄太郎さんは──」 それでいいんですか? 思わずそう言葉にしそうになっていて、口から出ていないことに安堵した。だってこの先、ずっと一緒にはいられない。私は近いうちに未来に帰ってしまうのだから。 「心配してるの?」 「えっ?」 「言わなくても分かるよ。君が未来に帰ってしまうこと。考えてないわけじゃないけど、君以外の人なんて有り得ないから」 それ以上何も言えなくなってしまった。 栄太郎さんは私がいなくなることを覚悟した上でそう言ってくれているのだと。でも私は、別れることを考える余裕がなくて、いや、考えることを放棄してる。辛い現実に目を向けたくなくて。 「君を未来に送る装置だっけ? 少し見せて」 そう言われて布団から出ると、最近は触れていなかった懐中時計が入っている巾着を取り出した。栄太郎さんはそれを受け取ると、懐中時計を取り出してカチッと蓋を開け、中の円盤を見ようとした。 「火を入れましょうか?」 「うん」 手元が見えづらいはずだと、行灯に火を灯した。 「これは、君が帰ってしまう日付なの?」 「そうです」 秒針は変わらず刻々と動いている。ただ、その秒針の下についてる円盤には、普通だったら現在の日付や曜日が記されているはずなのに、そこには数字だけが刻まれている。 「壊してみようか?」 「え!?」 ぎょっとした。だけど私は一度その考えが過って諦めた経緯があったので、栄太郎さんがそう言ったことは分からなくもなかった。そして多分、壊してしまうとどうなるか分からなくてその時は止めたのだけど、その考えというか直感は今でも外れていないと自信を持って言える。 結局栄太郎さんは懐中時計には何もせず私に返してくれた。 「玄瑞が、日本橋にある奇天烈な古美術商を紹介してくれて、そこにその懐中時計を見てもらおうと思ったんだけど、どう思う?」 「なんでまた久坂さんが? 見せるのは別に構わないですが、これを見せたところで何もならないと思いますけど」 「その懐中時計に設定されている、未来に帰る時間を取り消せるとしたら?」 「取り消せるんですか?」 「確証はない。ただ、古高がよくそこを訪ねていたという噂があるからもしかしてと玄瑞は思ったんじゃないかな」 驚いた。古高さん以外にこれは無理かもしれないと思っていたのに、もしこのタイムマシンなる懐中時計の設定を消せるのだとしたら、私はこの時代にずっといられることになる。 「栄太郎さんはどう思いますか?」 「君が決めるといいよ。このまま何もしないよりかは、何か行動した方がマシとでも僕は考えるけどね」 「それなら行ってみようと思います」 一縷の望みをかけて。 もしも、私が帰る日付を取り消せるとしたら、その可能性があるのならばそれに賭けてみるのも悪くない。
/441ページ

最初のコメントを投稿しよう!