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「…どうした?」
龍之介さんが、気遣うように顔をのぞき込んでくる。
「いえ、何でもないです」
「いろいろ急に思い出したから、疲れたんじゃないか?とりあえず、帰るか」
「龍之介さん、お願いなんですが」
「ん?」
「今日、わたしがアレンに会ったこと、夏目君には言わないでください」
夏目君に、あの頃のことを話したくなかった。
生きるために、無条件で人の言いなりになっていたときのことには。
触れられたくなかった。
「ん。分かった」
俯き、拳を固く握りしめていたわたしの頭を、龍之介さんがそっと撫でた。
「大丈夫だから。おまえが思ってるより、そんなひどいことにはなんねえよ。もう、それは、終わったことなんだからな」
終わったこと。
うん、そうだな。
彼との生活はもう、随分前に終わったことだ。
でも龍之介さん。
やっぱりわたしはわたしなんです。
昔の、どんなことにでも従った自分は、今のわたしと別の人間ではないから。
夏目君がそんなわたしをどう思うか、それが怖い。
口には出さずに、わたしは黙って龍之介さんの手を受け入れていた。
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