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人は誰しもが平等に不公平が無いようにチャンスを与えられているということをまだ自分の名前を漢字で書けなかった頃に聞かされたことがある。その話をした人物とは今は亡き自分の父である幸治朗(こうじろう)だった。
「いいか賢次。世の中にはな優しい人だけが生活をしているわけじゃないんだ。悪い人間もいれば、自分勝手に生きている人間だっている。でも、これだけはお前に覚えていてほしいんだ。賢次。お前は世の中にたとえどれだけ見放されるようなことがあったとしても絶対に生きることを諦めるな。この世界には絶対にお前を必要としている人が存在して、またお前自身が必要だと思う人も必ず出てくる。だからどれだけ理不尽な目に自分があったとしても『心』だけは折れちゃ駄目だ。
これはな、お前の爺ちゃんに俺がお前の時ぐらいにずっと言い聞かされてきたことでな、爺ちゃんもまた、そのまた爺ちゃんもずっと言い聞かされてきたんだ。言ってみれば善灯埼家の家訓みたいなもんだ。まあ、昔の俺もさっぱり意味が分からんかったし、お前もまだ意味は分からんとは思うが、ちょっとは頭に入れておいてくれよ?」
親父はこの話を自分に話し始めてから1年後に病気で亡くなった。親父が死んだとき自分はまだ六歳だったのでその時のことはあまり覚えていないのだが、親戚の叔母によるとぽかんと首を傾げていてみんなが悲しんだり、泣いていたりしている所をただただぼぉっと見ていたらしい。
小さい頃の記憶なんてあてにもならし忘れてしまうものだとは思うのだが、なぜか親父から言われたあの話だけは12、3年経った今でもしっかりと覚えていた。覚えようと躍起になった英単語や歴史の年号、数学等の公式はテストが終わればしっかりと忘れるというのに、そいつを覚えていようと意識しているわけでもないのに、それはいつも忘れかけた時に不意にやってくるのだ。
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