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(――生き……て……た。)
暗い廊下で、ICU前は漏れ明かりで明るかった。
「……あら?」
久保に声をかけたのは、伊川を呼んだ看護師だ。
「あなた……。」
久保はお辞儀をする。
表情は朧気だ。
「目が覚めたの?」
「――ええ。」
声は寝起きのそれで、擦れている。
「今、何時ですか?」
「――3時。」
「そうですか……。」
ゆっくり呼吸をする。
(……そんなに眠っていたのか。)
「……まだ眠いんでしょう? 足がふらついてるわ。」
看護師に指摘されると、久保は泣きそうな表情をした。
「――眠るのが、怖い。」
「そう……。」
夢で見たみたいに、今の亜希は崩れて消えてしまいそうに思えた。
――亜希の居ない世界。
何も知ることのないままに、朝目覚めた時に世界が変わっていたらと思うとゾッとする。
(……亜希、目を覚まして。)
久保はガラスに手をついて、ふらつく体を支える。
そして、生死の淵を彷徨っている亜希を凝視しながら、独り言のように呟いた。
「――大事な物は、手放しちゃいけない。」
高津に言われた言葉が口をつく。
(……手放しちゃいけなかったのに。)
自分は一度ならずも二度も亜希の手を離してしまった。
「あなたにとっても、大事なヒトなのね?」
久保がこくりと頷く。
「――中に入れるように許可を取ってきてあげるわね。」
看護師はくすりと笑った。
「――傍にいてあげなさい。」
そして、ICUの中へと入っていく。
久保はすぐに判断できなくて、ぼうっと廊下に立ち尽くした。
やがて、ICUから看護師が顔を覗かせて手招きをする。
「……許可が下りたわよ。」
そして、手を消毒するように言われ、レインコートのような物を着るように言われた。
「あと、これも付けて。」
髪にはビニル製のキャップを被る。
「……さあ、どうぞ。」
ICU内に足を踏み入れると部屋は廊下より暖かく、やけに計器類の電子音が耳についた。
ガラス越しに見ていた時よりも、亜希はもっと肌が白く、透き通って見える。
唇もまだ血の気を失って、紫色をしていた。
「……亜……希。」
人工呼吸機のマスクが僅かに白く曇る。
返事の無い亜希の右手を、そっと手に取る。
まるで蝋で出来ているみたいに冷たく、固い。
久保は少しでも温めようと、指を絡ませてその手を握った。
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