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(置いていかないで……。)  亜希に懇願する。  そして、次の瞬間、久保は身を固くした。 (――ッ?!)  そっと抱き締められているような感覚。 〈――泣かないで。〉  そんな事があるはずがない。  急いでICUの中を覗く。  心電図は一直線のままだ。 (亜……希……?)  見えない何かに抱き締められていたのはほんの一瞬だった。  粟粒のように、鳥肌が立つ。 (――今、確かに。)  抱き締められた感覚が確かにある。  久保は横たわったままの亜希を見つめて、血が滲む程、ギュッと唇を噛み締めた。  その少し前、亜希は微睡みの中に居た。  ふっと目を覚ませば、独りで水面の近くに浮かんでいた。  むくりと起き上がり、立ち上がる。 (ここは……?)  辺りを見回しても、鏡が水中に、いくつか傾いたまま刺さっているだけで、人影はない。 (――誰か、居ないの?)  心が揺れると足元の水面も揺れるようで、滑らかな水面がゆらゆらと揺れる。 〈亜希……。〉  久保の声が響く。  その声に水面は一気にさざ波を立てた。  鏡の一つに久保が映り込んでいる。 「貴俊さん!」  亜希が近付くと、その横から万葉が現れて、腕組みをする。 「待って……。」  鏡に駆け寄ったが、久保は万葉と鏡の奧へと消えていく。 〈……俺が結婚したら、亜希はどうする?〉  波は白波立ち、足や鏡に当たると砕け散る。  ――行かないで。  しかし、久保の姿はふっと闇に消えた。  その代わり、別の男の声が背後から響く。 〈君はいつだって久保なんだな……。〉  ハッとして振り返ると高津の姿が映り込んでいる。  高津の感情のこもっていない冷たい声が亜希を凍らせていく。  ――言わないで。  しかし、高津は冷たい眼差しをしたまま、亜希に言う。 〈――サヨナラ、だ。〉  亜希はハラハラと涙を零した。  小さな波紋が広がる。  ――止めて。 (もう聞きたくない……。)  波紋は鏡に映り、よりたくさんの波紋になる。  いつのまにか映りこんでいる下弦の月も揺れていった。  静かに声が響く。 〈忘れたいの……?〉  優しい声色。  ふと見ると、鏡の中の自分が訊ねてきていた。 「もう、嫌なの……。」  涙を流していた亜希はその声に答える。  他の鏡には様々な久保と高津の表情が映し出されている。
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