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――どこにも「居場所」が見つからない。
「……新校舎がプレハブじゃ無くなっている時点で、六年が経っているのは理解してるつもりだったんだけどな。」
蚊の鳴くような亜希の声に、久保は静かに近付く。
「ダメだね」と言って苦笑いを浮かべる亜希は、触れたら脆く崩れてしまいそうに見えた。
久保は亜希の隣まで来ると、亜希の指差した席の後ろの席の椅子をカタンと引く。
――机を挟んで隣同士。
腰を下ろすと、天井を見上げるようにして黙り込む。
――広い教室にたった二人。
時計の無機質な音がカチカチと鳴り響く。
久保は横目でちらりと憂い顔をしている亜希の様子を眺めた。
柔らかく波打った髪の一筋が、窓からの生温い風に僅かに揺れている。
――伏し目がちな眼差し。
睫毛には僅かに水滴がついている。
そして、そんな亜希の肩越しには、少し埃っぽい空気が陽の光に照らし出されて、きらきらと輝いていた。
そっと目蓋を閉じて、胸いっぱいに呼吸をする。
(……彼女の中に、俺はいない。)
恋人としての自分はおろか、教師としての自分さえも無い。
――もう、自分の知っている亜希はいない。
『進藤の奴、『迷子』なんだそうです。』
「――迷子?」
『はい、居場所を探してるんだって言われました……。』
そう言って携帯電話越しに、内田がぐすっと鼻を鳴らしたのは、ちょうど亜希が退院した頃合いだった。
「……何、泣いてんだよ?」
『――すみません。でも、あんなに一緒だったのにって思ったら……。』
内田の噎(ムセ)び泣く気配がする。
つられて、うっすら涙ぐむ。
『あいつに久保センを思い出して欲しいんですけど、うまく行かなくて……。』
申し訳なさそうな内田の声に久保はギュッと拳を握った。
「……俺は亜希が生きていてくれさえすれば、それで満足だよ。」
自分に言い聞かせるようにして、紡いだ言葉は逆に胸を騒つかせる。
それは内田にとっても、同じだった。
『久保センは、進藤が忘れたままで良いのかよ……?』
内田の責めるような口調に、言葉に詰まる。
『――教えてやってよ、あいつに。『居場所はここだ』って。』
しかし、久保はその頼みに、声を発する事がどうしても出来なかった。
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