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「あれ、久保さん? 行かないの?」
「――到着。」
「はい……?」
「『到着』だよ。」
久保が指差した先には確かに「カウンセラー室」と書いてある。
「ちょっと。近過ぎ! まだ5メートルも来てないのにッ!」
「仕方ないだろう? ここなんだから。」
「えーッ。」
「新校舎の探険はまた後でな。」
残念がる亜希の隣で、久保はカウンセラー室のドアを開ける。
すると、閉め切っているせいか、むあっとした熱気が襲ってきた。
「……亜希ちゃんはちょっと、ここで待機。」
「えーッ。」
「だから、『えーッ』じゃありません。蒸し焼きにはなりたくないだろ?」
そう言って、中に入っていくと、窓を開けて換気する。
亜希は待ちきれずに、久保の後ろに付いて、そっと部屋に足を踏み入れた。
「うわあ……。」
思っていたよりも広い。
部屋は元々教室だったのか、床の素材は木目調で壁もコンクリート製だが、旧校舎にある保健室とは雰囲気が違う。
奥には薄緑の布地の張られたパーティションで区切られたベッド。
その横には待合室代わりなのか長椅子とカラーボックス。
長椅子の上にはクッションが行儀よく置かれている。
手前には大きな机と、いくつかの椅子。
教員用のOAデスクとOAチェアの隣には、たくさんの本が並んだ本棚があった。
小物は薄い緑と薄桃色で統一されていて、まったりとして、居心地の良い空間になっている。
「大丈夫か?」
心配そうな顔つきの久保に向かって、勢い良く頷く。
「大丈夫! これくらいの暑さはへっちゃらだよ?」
「……そうか。」
質問の意図は違ったものの、亜希が笑う姿にほっとする。
久保は微笑むと、そのまま黙って、窓辺に視線を移した。
近くの銀杏の木で、蝉がミンミンと鳴き始める。
(もう、すっかり夏だな……。)
亜希が記憶を失ってから、早いもので、もうすぐふた月になる。
――あの日。
久保は病院を出た足のまま、このカウンセラー室にやってくると、亜希の記憶を取り戻したくて、脇目も振らずに本棚から数冊の本を抜き取った。
乱雑に本を広げ「解離性健忘」に関わりそうな本を読み漁る。
しかし、しばらくしてその手はぴたりと止まった。
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