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「久保さん、『枕草子』も勉強したの?」
「そっちも少しばかりね。あれは斬新な作品だよな。」
「『春は曙』があ?」
「ああ。普通、日本人なら、『春は桜』だろう?」
「まあ、そうかな……。」
それなのに「春は曙」の段には、春の桜も、夏のほととぎすも、秋の雁も出てこない。
しかも、絵画を描くように色彩鮮やかに体言止めを駆使して賛美する。
それはまるで、印象派の絵画を見ているみたいな心地だ。
「あの『春は曙』の段はね、それまでの観念を色々覆したんだよ。」
万人が認める風物詩が無くたって、世界は違う美しさで溢れている。
「不思議だよな、文章なのに絵画を見てる心地になるんだから。」
「……うん、不思議。」
亜希はトトトッと階段を駆け上がる。
「お、少しは興味、持ってくれたか?」
肩を並べて歩み、2階へ着いたと思ったら、くるりと向きを変えて3階への階段を上がり始める。
「――うん、久保さんって根っからの『教師』なんだって分かった。」
「ん?」
「今の話を聞いてるとね、ちゃんと『先生』に見えるもの。」
脳裏に、春の夜空とそれをじっと見上げる亜希の姿が浮かぶ。
春の夫婦星の話をした時も、亜希はこんな風に「ちゃんと先生に見える」と笑っていた。
「じゃあ、その前は何に見えてたんだ?」
「うーん、用務員さん?」
「……んなッ?!」
久保が脱力して「あのねえ」と呆れ声を上げても、ケラケラ笑いながら亜希は軽快なステップでどんどん階段を上っていく。
「でもね、久保さんは『教えるのが好き』なんだってよく分かった。凄く生き生きしてるもん!」
亜希は再び踊り場まで辿り着くと、久保の方に振り返って柔らかな笑みを浮かべた。
「内田の言う通りだって思った。」
久保もゆったりと亜希の後を着いて階段を上っていく。
「――あいつ、何を言ったんだあ?」
「うーんとね、久保さんは、お人好しで、面倒見が良くって、私に甘いって。」
「あいつも、同じ癖に……。」
「だよねッ」と亜希も、にっこり笑う。
「あ、それとね『良い先生だ』って言ってたよ。」
「――内田があ? それ、『都合の良い先生』の聞き間違えじゃないかあ?」
すると、亜希はプッと噴き出して、口を大きく開けると大笑いを始めた。
「散々な言われようッ!」
可笑しそうに笑う亜希の様子に、久保も目を細める。
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