カリブ

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男は、港にいた。 その日からカリブ海での輸送船業務を担当する事になったからだ。 「ブラッドストーンさん、あんたも気の毒だな・・・」 ガルフポート港の海運業者イアンノーネはため息混じりだ。 「海賊が出るんだってな。」 ブラッドストーンは既に悪条件は折り込み済みだという体である。 「軍の武器輸送船を襲ったって話でさ。コロンビアに輸出するやつを全部くすねたって。考えられないね。」 「イアン、気安く口外するなよ。非公式の国家機密だ。」 2ヶ月前の話である。 アメリカ軍事産業大手のパッサード社の輸出用の武器を積んだ特殊輸送船がカリブ海で何者かに襲われ、武器が全て奪われた上に、職員や軍関係者もその血痕を残したまま全員消息を絶ち、空(から)の輸送船のみが捨てられていたという事件があった。 「南太平洋の航路も些か食傷気味だったが、まさかカリブの担当に配置替えとはね。」 ブラッドストーンはホットコーヒーの湯気の中で目を細めた。この軍の失態がなければカリフォルニア~オーストラリア間の南太平洋輸送航路を続けて担当していた筈だった。航海士の誰もが敬遠するカリブ海はハイリスクの分だけ稼ぎはあるが、志願する愚人はいない。なにせ今や米軍の最新式の武器を装備した海賊が地雷のように散らされた美しくも穢れた航路である。 「救難信号を出せば即時米軍戦闘機が駆けつけるって話だが。」 「カリブ海はアメリカの領海じゃない。それに船に賊が乗り込んできたら戦闘機の出る幕はもう無い。来ないよ。そんなものは。」 ブラッドストーンに甘い考えは微塵もない。 「もっと怖いのは保険会社だ。今のカリブ海を航行する貨物船には保険料掛け金8.5倍。つまり保険会社も軍の援護をあてにしていないのさ。負担の増加分には国も補助金を付けないらしいしな。さながら俺達は棄民扱いだ。」 ブラッドストーンが勤務する海運会社の大型貨物船ラピスラズリ号には、既に引き受け貨物が八割は積まれていた。貨物積載を担当するイアンノーネはこの港の顔であり重鎮だが、ブラッドストーンとの接点はなく、今日が初対面である。しかしお互いにその高い熟練術を業界の評判で周知しており、さながら水位の均衡を見て開門するパナマ運河の水門よろしく、波ひとつたたぬ意思の疎通が会話の駆け引きに見られた。
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