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「待ちな。こんな寒い中を、どこへ行こうと言うんだい?まだまだ冬は長いのに…道端で凍死するだけだよ。」
「でも、私がここにいると、あなたがたに迷惑がかかります。私は……その………。」
女はしどろもどろに言った。
「…政治犯かい?」
ふいに、アンナの母の口から出た言葉に対して、女がビクリと身を震わせるのが、見てとれた。どうやら、当たりのようである。
「……そうなんです。だから、私にかかわったことが秘密警察にばれると、あなたがたにまで危害が及ぶことになります。とにかく、私が一刻も早く遠くへ逃げないと…。」
「だから、どうしたって言うんだい。この町を治めているラコーバ市長は、庶民には寛大な御方でね、やたらに政治犯を逮捕したりしないし、汚職もしないし……よその町や村に較べたら、この町ほど身の安全が保障されているところはないさ。あんたも、その噂を聞きつけて、この町まで来たんじゃないのかい?」
女にとっては、まさに、その通りだった。
「ちょうど、店が忙しくて、人手が足りなくて困ってたんだ。あんたさえ良ければ、うちで働いてくれないかい?あんたみたいな美人のウェイトレスがいれば、客引きにもなるしさ。」
「いいんですか?私みたいな政治犯でも……。」
女は、ポカンとして尋ねた。この国の政治犯は、まともな職につけないのが普通なのだ。
「いいに決まってるでしょ。あたしからも、お願いしたいぐらいよ。」
朝の身づくろいを終えてキッチンに入ってきたアンナが言う。後ろから、シェスタがついてくる。
「シェスタが、すっかりあなたに懐いちゃってるんだよ。シェスタのためにも、うちにいてくれないかな。」
アンナが言い終わるよりも早く、シェスタが女の胸に飛び込んだ。
「おやおや、どうやら、あんたは猫に好かれるタイプみたいだね。」
アンナの母が苦笑する。女は、少し笑って、答えた。
「わかりました。私みたいな政治犯で良ければ、使ってください。どうせ、もう、のたれ死ぬしかないと、あきらめていた身です。便所掃除でも、ドブ掃除でも、何でもやりますから。」
「ドブ掃除までは、しなくていいよ。あれは、市が清掃業者を雇ってやらせてるから。」
アンナが困ったように笑う。
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