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『喜笑』が恐れたのは、自分の裸体をこの歪みの先から出てくる者に見られることだった。
当然と言えば当然だが、普通は全裸になどならないし、空間の歪みに注意を向けるだろう。
──しかし、アレだな。
自分が纏う漆黒のローブを軽く直し、心中で呟く『喜笑』。顔にはいつも通りの笑みが貼り付いていたが、先刻とは別の焦燥の色も浮かんでいた。
──この感じ、中々に、ヤバい。
空間を蹂躙し、元々あった景色を台無しにしていくような歪みは、止まる事を知らない。
まるで、世界を台無しにするような。不純物の塊のような。弱者の醸す情けなさと、絶対的な強者を思わせる威圧を混ぜ合わせたような矛盾が含まれた歪み。
『喜笑』が培ってきた長年の経験が、ヤバいと警告する。糸のような瞳に冷たい色が宿っていく。
──鬼がでるか、蛇がでるか……いや、『鬼神』が出てきても困る……逆に蛇が出てきた時、俺はどうすればいい? 蛇使いか? まず、蛇は俺が蛇使いとして、笛を作る暇を与えてくれるのだろうか……?
そして、空間の歪みが凝縮されていった。パンパンに膨らんだ風船が、勢い良く空気が抜かれたように。
瞬間、ナニカが変化した。空間には何も変わりはないというのに、寧ろ、先刻まで猛威を振るっていた禍々しい歪みが消えたのに、だ。
──…………この背筋にナメクジが這い回る様な感覚は……なんだ? いや、実は俺はナメクジを背中に置いた事など一度もない……う、気持ち悪……どうしようもなく、気持ち悪いから、ここは誰かで実験してみる事にしよう。
鬼や蛇どころか、全く何も現れなかった事に安堵する『喜笑』。続けて、自身の置かれた状況を口に出して確認していく。
口に出すことで、冷静に今の出来事を確認できる。周囲に漂うこの気持ち悪さの解決もしておきたい所だ。
「……そう、俺は悲劇の主人公」
というより、誰かに自分の不幸をぶちまけたかった気分になっただけの話。芝居がかった口調と仕草で、青年は高らかに腕を広げる。
「今日なんて、散々だ……理解して欲しい……!! まず、俺は『英雄』のローブの背中に、気付かれないように……奴が着込んだ時にだけ『馬鹿参上!』という文字を浮かばせるようにしただけだ……ただそれだけだぞ? 何がいけない……事実を書いただけなのに、俺はこんな仕打ちを受ける……?」
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