3人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
1985年11月14日 (木) 20:35
私が通っていた塾の前に、一台の単車が停まっていた。
先輩の野原(仮名)さんの単車である。
野原さんとは、近所の5才年上のお兄ちゃんで、幼少の頃よりとは言ったもので、正に幼稚園の頃よりずっと、仲良く遊んでいた。
野原さんは、エリート一家(親の職業等は伏せさせて頂く)に産まれ育ち、国立大学へ進学した姉&兄を持ち、本人は2浪の末、有名私大の法学部へ進学していた。
野原さんは、エリート一家の中ではドロップアウトしていると、自称ではあるが、予々言っていた。
しかし、警察に捕まったりするような根っからのドロップアウトしている人間ではなかった。
口癖は、『スタジャンの似合う弁護士になる。』だった。
後年、弁護士ではなく、晴れて税理士となったが、スタジャンを着ている姿は、未だに見かけない。
税理士では、スタジャンは御法度なのだろうか?
今度、聞いてみよう。
大学生になって、野原家の高級車を乗り回すのかと思いきや、古い中古の250ccの単車に乗っていた。
たまに、野原さんの単車で塾の送迎をしてもらっていた。
その当事、自転車が移動ツールであった少年からすれば、凄く楽しい事であり、別次元の事の様であった。
現在の若者からすれば信じられないかもしれないが、当事はヘルメットを、着用せずともよかった。
原付を含む自動二輪のヘルメット着用が義務化されたのは、1986年からの事である。
最初のコメントを投稿しよう!