遠くまで見える場所

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「おお、やはり…」老人の全身が小刻みに震えだした。彼は杖にもたれ掛かったまま、片膝を折る仕草をした。 「ここに入るのをお見かけした時からそうかと思っていましたが、やはり…お痛わしや…」 リュウトは出来る限りの無愛想で応えた。「失礼ですが、あなた何か勘違いをなさっているようで…」 「あなたのお父上がここを治めていた頃は良かった…」老人は続けた。「秩序というものがありました。今はもう、何でも金ばかりで…」 勤め人の格好をした一人の男が近づいてきて、老人の腕をつかんだ。 「やめろ」リュウトは言った。「この人は道をきいていただけだ」 歯の抜けた口をぱくぱくさせている老人を引きずるようにして、男は彼を連れていった。男が近くに停まっていた車に老人を放り込むと、車は走り出した。男がどこかに姿を消すと、老人の杖だけが歩道の上に残されていた。 リュウトは通行人が何人か立ち止まって自分を見ているのに気づいた。彼が目を向けると、彼らは顔をそらしてそそくさと歩き始めた。 リュウトはホテルへと踵を返した。自分の部屋に戻ると、彼は窓のカーテンをすべて閉じた。
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