その階にうつるもの。

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   ──瞬間、急に蝉の声が鳴き止んだ気がした。  視界から急に中居の姿が消えて、代わりに汗だくになって息を切らした斉木がそこに立っている。  カラカラ……と、カッターナイフが俺の足元に転がってきた。  俺は慌ててそれを踏みつけると、四つんばいになって転がっている中居の姿を確かめる。  ……遠くから蝉の声が、少しずつ戻ってきた。  凍り付くような恐怖を感じたとき、何も聴こえなくなる──って、本当なんだ。 「仁志、大丈夫か」  斉木は息を切らしながら、呻き声を上げる中居の両腕を腰で固定する。 「お前、今何した」 「止めようがなかったから、咄嗟に背中に蹴り入れた」  転んだダメージですぐに立てないらしい中居は、腿を斉木の膝で押さえつけられ更に悔しそうに呻いた。  凍り付いていた身体に急に体温が戻ってきて、暑さのせいじゃない汗がどっと出てくる。 「仁志、電話頼んでいい?」 「あ、ああ、判った……」  俺は、西川さんを振り返りながら携帯を取り出した。 「西川さん、ごめん。大丈夫?」  両手を突いて崩れ落ちるように座り込んでいた西川さんに手を差し出す。 「だ、大丈夫……坂田くんこそ」  ハッと気付いて、電話を持っている手と交代させた。  切られた腕から、びっくりするくらい血が出ている。 .
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