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目の前にいるのに、あさ美が不意に消えてしまいそうで、内田はあさ美の腕を咄嗟に掴む。
「智和?」
「あ……、ごめん……。」
力一杯掴んでしまったから、慌てて力を弛める。
はぐらかそうと内田は高津の事を話題にした。
「あのヒトは『羨ましい』って顔してないし、羨ましがるような事を、俺はしてないよ。」
「だから、だよ。綺麗な清水みたいだから、羨ましいの。」
「……買い被り過ぎだよ。」
あさ美がまっすぐ見つめてくるから、内田は気恥ずかしくなってきて目線を外した。
「……本当、綺麗だから、汚したくなる。」
あさ美が胸に顔を埋めてくるから、内田は身動ぎできなくなった。
いろんな事を諦めたような憂いを帯びた表情が、手首を切った日の亜希に重なって見えて、内田はそっとあさ美を抱き寄せた。
「同情はしないで。私が智和を無理矢理持ち帰ったの。」
「同情なんてしてない。」
「それなら、背中に回ったその手は何? 『君の事は全部受け止めるよ』なんて言わないでよ?」
「言わないよ。ただ……。」
内田は言葉を濁す。
あの日の亜希を思い出すたび、どうしてもっと上手く立ち回れなかったのかと歯痒くなる。
「――消えそうに見えたから、捕まえただけ。」
清流にだって淀みもあるし、逆巻く渦もある。
亜希の事を考えて、あさ美を抱き締める自分は狡い。
「イリュージョンじゃないんだから。」
あさ美が優しく笑うから、内田はホッとする。
同時にお腹が盛大に鳴った。
二人で顔を見合わせる。
しばらくの沈黙の後、内田は顔を赤くし、あさ美は大笑いをした。
「近くにカフェがあるから食べに行こうよ。」
そしてあさ美に連れられて、外に出ると意外にも野球のドームが近くに見えた。
「――あれって、東京ドーム?」
「そうだよ。タクシーで来たから、どこに来たか分からなかったんでしょ?」
「……うん。」
あさ美は遊園地を指差し「あそこの中にあるの」と笑う。
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