第四章『一年目・アピールの末』

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沖田の三振を昇太郎は見ていなかった。 正確には、昇太郎は小笠原の投球内容のみを見ていたので打者の姿は見ていなかった。 あれだけ大柄のサウスポーで上から振り下ろす投手と対戦した経験は昇太郎にはない。頭の中にある最も威力のある速球をイメージしつつ、ボールの軌道の違いを頭に焼き付け続けた。 沖田が戻ってきたことで自分の番を理解した昇太郎は借りたマスクを外し、 「ありがとうございました」 言葉少なに返して、打席へ向かった。 (顔つきが明らかに変わっていた。あの速球を打つ自信があるというよか?) ベンチにいるメンバーの大半は目の前の試合の結果より、自分自身の入団テストの結果の方が気になっているーー試合に意識が向いていない。 まるで、ベンチ全員の気持ちを根刮ぎ持っていったかのような気迫。 「ひょっとしたら、ひょっとするかもしれないね」 右打席に入った昇太郎はバットを構える前に、マウンドに聳え立つ小笠原を凝視した。 (わざわざ比べなくてもハッキリと分かるくらい体格が違うな) 昇太郎が思い浮かべたサウスポーと具体的な数字で30cm近くも違う。 となれば、仮にフォームが同じだったとしても軌道は違って当然。 球数は限られているが、その違いを把握して、打つ。 絶対に力負けしまいと、昇太郎の構えは上体を大きく捻るーー元東北フェニックス野手の香取のフォーム。 気合い負けも気後れもせず、プレッシャーすらも感じず、この打席だけに集中出来ている。 結果を恐れず、自然体で打席に立つ。 そんな当たり前だが現実には限りなく不可能な状態で、昇太郎はそこにいた。
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