Ring

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「…………あ、ごめん。こんな時間だった。 帰るね。色々とありがとう」 貴愛はソファから立ち上がり、 歩の貸してくれたタオルを畳んで手渡そうとした。 「……本当は洗って返すのが礼儀なんだろうけど…」 「…………帰る場所があるのか?」 「……え?」 虚(きょ)を衝(つ)かれたような貴愛の顏を見て歩は焦った。 「あるよな。あるに決まってる。 今時、家がないなんて奴、いないよな。 ………何言ってんだろ…俺…」 「…………」 戸惑う歩の姿を見て、そして手に持っているタオルを見た。 「………洗濯機、借りてもいい?」 「……洗濯機?」 「…うん、タオル洗わなきゃいけないし…、それに………」 貴愛は次の言葉を言う勇気を溜めるように、 間を置いて、言葉を繋げた。 「………実は今日精神科から退院して来たんだけど、 どうしても帰れなくて………そしたらショーウィンドウがあんまり綺麗だったから…。 ………あの部屋に帰るのは、もう疲れたんだ………だから…」 「………ここにいれば?」 「……いいのかよ? だってそんなのおかしいよ。 まだ出会って間もないし、付き合ってる訳じゃないし、 お互いの事もよく知らないのに」 「……知ってるだろ。さっき知ったよ。教えたし」 歩は自分が何を言っているか、よく解っていたから、 よく解らなかった。 普通に考えたら非常識だった。 貴愛の言う通り、病院で医者と患者という立場として、 知り合っただけで、恋人同士でもなんでもない。 自分でも不思議で仕方がなかった。 ショーウィンドウを見つめる貴愛に、 ドーナッツを渡した事も、家に招き入れ、 こんな話をしたのも、全て理由を問いただされたら、 何も言えなくなるのは、自分がよく理解していた。 でも、帰ろうとする貴愛を何故か引き止めたくなったのも、 否定する事の出来ない事実だった。 「……いつまで?」 「…え? あぁ…」 歩は悩んだ。 いつまで一緒にここで暮らすのか、 言われてみれば当然の質問だったが、 特にそこまで考えてなかった。 「………とりあえず……その………、 ドーナッツ…、食べるまで?」 貴愛は少し笑った。 歩はそれを見て、照れを隠す為にふくれっ面をすると、 その顏をそむけた。 貴愛はソファに座り直し、ドーナッツを手に取り、 少し考えてから、半分ちぎって歩に渡した。 歩はぎこちなくそれを受け取った。 二人はドーナッツを食べた。 「うまい」 「うまい」
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