Ring

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貴愛は吹きこぼれる鍋の火を調節しながら言った。 歩は恐る恐る包丁を持って、ニンジンを切った。 「…これでいいのか?」 「ん?」 貴愛は歩の切ったニンジンを見た。 「えー、こんなぶつ切りにしたら、大きすぎるだろ。 ま、いっか。細かく切り直せば。 一口大に切って欲しいんだけど」 「……………」 貴愛は歩が返事をしないので不思議に思い、 振り返ると、歩は包丁をじっと見つめていた。 「………? どうした?」 「……この包丁、どこのメーカーだ?」 「…えっ? 知らない。包丁にメーカーとかあんま気にしないし…」 「……メスで切りたい」 貴愛は一瞬呆気にとられたが、大笑いし始めた。 歩は自分が変な事を言ったのに気付き、慌てた。 「だっ、だって、俺、あんま料理とかしないし…、 切れ味が悪かったから…」 「そりゃ、メスに比べたら、どんな包丁だって負けるだろ」 貴愛はまだ笑っていた。 貴愛がこんなに笑ったのは初めてだなぁ、と思った。 「人切るのと、ニンジン切るのと、どっちの方が難しいんだよ」 「…うるさい。一口大に切ればいいんだろ」 歩は顏を赤くしながら怒ったように不慣れな手つきで、 ニンジンを細かく切り出した。 「あぁ、駄目駄目、そんな風に切っちゃ」 「え? なんでだよ」 「形が揃わないだろ? そうじゃなくて、こういう風に―――」 結局、二人で料理を作った。 慣れない歩は少し疲れた様子だったが、 貴愛は何とも言えない安堵感に包まれていた。 普通の日常を、普通の日常として過ごしたのを感じたのは、 本当に久しぶりだった。 歩が仕事から帰ってくると、 貴愛はテレビの付いた部屋のテーブルで、 何か作業をしていた。 「おかえり」 「ただいま。喉乾いた」 歩は冷蔵庫を開けミネラルウォーターを、 ペットボトルのまま勢いよく飲んだ。 「…なぁ」 「ん?」 歩は手の甲で口についた水を拭いながら、 貴愛を振り返った。 「………先生、いつからポスト見てないんだよ?」 「……は?」 見ると貴愛の手には大量の封筒があった。 「先生宛ての手紙、たくさん届いてる。 殆どが明細書だけど…何ヵ月分あると思ってんだよ?」 「……あー、忘れてた。新聞は玄関のポストに入るから、 外のポストはあんまり見てなくて…」 「あんまりじゃない。全然だ。 それから先生に電話があった。」 「え? 誰から?」 「水道屋。点検に行く日、いつがいいかって手紙を送ったのに、
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