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そもそも趣味をするような生活状況でも精神状態でもなかった。
貴愛が黙りこくったので、歩は「しまった」と思った。
触れてはいけない所だった。
さりげなく話題を変えると、貴愛はまた普通に喋り出したので、
歩は内心ほっとしていた。
レジで会計を済ませようとした時、
店員が「映画のチケットはお持ちではないですか?」
と、訊いてきた。
チケットがあれば割引が出来ると言う。
持ってないと答え、二人は店を出た。
駐車場までの道のりを、歩は少し考え事をしながら歩いていた。
貴愛は趣味まで封印して生きて来たのだろう。
何か、何でもいいから楽しそうな事をさせてやりたかった。
「……あ、ここみたいだな、店員の言ってた映画館」
貴愛は通りすがりの映画館の前で立ち止まり、
映画の広告パネルを見ながら言った。
「……そうみたいだな」
歩が広告パネルを見ると、そこには、
いかにも女性が好みそうな恋愛映画のパネルと、
アクションSF映画のパネルが並べられていた。
歩は少し考えてから、ぎこちなく言った。
「………見て行かないか?こっちのSFっぽいやつ」
貴愛は微かに驚き、歩を見た。
歩は平静を装っているが、貴愛は隠れた気遣いを感じた。
「……別にいいけど」
「じゃあ行こう」
歩は要らないという貴愛を適当にあしらって、
ポップコーンを一つと、ジュースを二つ買った。
映画が始まり、照明が暗転した。
歩は、ばれないようにそっと貴愛の横顔を伺った。
映画の放つ光を受けた貴愛の横顔は、
ストーリーに沿って、少し笑ったり驚いたり涙ぐんだりしていた。
歩は貴愛の横顔を見て、自問自答を繰り返していた。
俺は貴愛と一体どういう関係になりたいというのだろう?
貴愛の楽しそうな顔が見たい? 何故?
もう愛というものが信じられないというのに。
愛する人を失った痛みは、まだ消えていない。
なのにこの感情は何だ? また人を愛そうというのか?
自分を男だと言い切る事で、自分の傷から身を守ろうとする貴愛を、
女性として意識するという事は、男である事そのものを否定し、
傷付けるのでは?
お前は所詮、女だと、男になりえる訳がないと言うのと同じなのでは?
それでもこの胸に芽生えている気持ちを確かに感じる。
だからと言って、そのまま貴愛を想うのか?
自分の傷を抱えたまま、貴愛の傷を知りながら。
歩は狭間で揺れていた。
正直、歩は映画の内容なんか殆ど頭に入って来なかった。
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