Ring

24/47
前へ
/47ページ
次へ
トイレに近づくと激しく乱れた息遣いと、 ゴホゴホという苦しそうな声が聞き取れた。 「……古家? 入るぞ」 ドアを開けると便器に向かってうずくまるような姿勢で、 床に座り込んでいる貴愛の姿があった。 「古家! 大丈夫か?どうした?どこが苦しい?」 貴愛の両腕を後ろから掴むように支えた時、 歩は驚いた。 スウェットが尋常じゃない位に汗で濡れている。 身体は震えており、座った姿勢を支えている右腕は、 今にも折れそうな程、ガクガクとして力が入らないようだった。 便器の中を見ると嘔吐をしたようだった。 「まだ吐きたいか?」と聞くと、貴愛は微かに首を振った。 歩はなんとか貴愛を立たせると、貴愛の片腕を自分の首の後ろに回して、 支えながらリビングまで連れて行き、布団に寝かせた。 タオルを温水で絞って、顏の汗を拭いた。 「……着替えた方がいい」 「………大丈夫だ…いつもの…こと、だ…」 貴愛は苦しそうな呼吸で目をつぶりながら、 消え入りそうな、かすれた声で答えた。 ―――いつもの事? 風邪かなんかじゃないのか? 日常的な事…?これが? 「……水飲むか? それともなんかサッパリしたもの食う?」 「………いい…」 歩はこの症状は一体どこからくるものなのか考えた。 水も食べ物も要らないと言うし、 辛そうだから、とりあえず眠れば楽になるかもしれない。 「………眠れるか?」 「…………眠りたくない…」 「……今すぐは無理でも、寝ないと体力が回復しないぞ」 「……要らない…」 「…なんでだよ」 貴愛はうっすらと目を開けて歩を見た。 乱れる呼吸を整えようと努力しながら、 貴愛は目をつぶり直し、ぽつりと言った。 「………夢を…見る…」 そう言って汗のにじんだ顏に涙が流れた。 歩はこの貴愛の症状が風邪とかの体調不良ではなく、 精神的な極度の情緒不安定である事を悟った。 なんらかの精神疾患を持つ患者が、 悪夢を訴える事はよくある話だし、 何かしらの拍子に拒絶反応で嘔吐する場合もある。 息が苦しそうなのも、発作的な過呼吸だろう。 歩はいつからこんな状態が続いていたのだろう、と思った。 貴愛はいつも独りでこの状況と闘っていたのだろう。 眠れない夜。怖い夢。独りぼっちの部屋。 貴愛を襲う苦痛は、いくらでもあっただろう。 孤独と真っ暗闇にのまれて、どうやって生きてきたのだろう。 歩は貴愛のこぼした涙を親指で拭うと、 静かに言った。
/47ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加