Ring

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「………眠れるようになるまで、一緒にいる」 貴愛は顏を少し傾け、歩を見つめた。 涙が自然ともう一つこぼれた。 歩は手のひらを広げ、貴愛の右頬をそっと包むように触れた。 貴愛は乱れた呼吸の中に嗚咽が混じるのを我慢しながら、 自分の頬を包む歩の手首に触れようとした。 歩は自分の手に触れようか迷うような貴愛の手を見て、 「掴んでくれ」と願った。 その不安と孤独で震えた手で、 俺の手を掴んでくれ。 縋(すが)ろうか迷うな。今、男として取るべき態度を考える頭を、 少しでいい。忘れて掴んでくれ。 歩が心の中で必死にそう願っていた時、 キッチンの方で洗い物を水に浸けている食器が、 ちょっとした何かの反動で沈み、 他の食器とぶつかって静かな部屋にガタッと音を立てた。 その瞬間、貴愛は悲鳴を上げて飛び起きた。 呼吸がさらに乱れ、ガタガタと震える手で自分の胸のあたりを掴み、 青ざめた顔の見開いた目から涙が次々と溢れていた。 かなりの錯乱状態だと思った。見ていて痛々しかった。 歩は貴愛を抱きしめた。 貴愛は呼吸が上手く出来ないせいで、少しむせながら、 自分を抱きしめる歩から離れようとして、 力の入らない腕で歩を押しのけようとした。 「……大丈夫だ。食器が動いただけだ。 俺がいる。大丈夫だ。俺がそばにいるから」 貴愛は渦巻く恐怖で混乱する頭が、 男に抱きしめられる自分はルール違反だという、 警告を鳴らしているのに気付いていた。 それを見透かしたように歩が優しく言った。 「…大丈夫だ。お前は今でも男だ。男に見える。問題ない。 俺も男だが、動揺する男を男が落ち着かせようとする時だってある。 …大丈夫だ。大丈夫だよ」 歩は静かな口調で必死に語りかけた。 激しい呼吸で上下に動く両肩を潰してしまわないように気を付けながら、 歩はぎこちなく貴愛の背中を、あやすようにトントンと叩いた。 貴愛は恐怖で動揺して混乱する頭で考えようとした。 歩は優しい嘘をついている。 これは不自然だ、これは不自然だと、もう一人の自分が繰り返していた。 しかし、歩の胸の中の温もりと、 自分の背中を優しく叩く手の感触を、 孤独で麻痺しきった身体で感じた時、 貴愛の中で張り詰めていた何かがふっと消えた。 貴愛は自分の胸を掴んでいた手を離し、 代わりに自分を抱きしめる歩の腕を、恐る恐る掴んだ。 そして声を出して泣いた。 歩は「大丈夫だ」と繰り返した。
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